大番城  広島県三次市三若町

標高320m 比髙90m  

主な遺構:堀切・土塁

アクセス

 三次市街から国道375号を南下し、三若町に入ると世羅西方面へ通じる県道45号の分岐がある。左折して県道に入れば右手前方に見える丘が大番城だ。県道側斜面は急峻だから西側に回りこんで登る方がいい。

f:id:kohanatoharu:20210501171110p:plain地理院地図(電子国土web)に加筆

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                                   大番城全景

 本城の北西1km、美波羅川の対岸には江田氏の本拠旗返山城がある。天文22(1553)年、江田氏が大内方から尼子側に寝返ったため、旗返城は太内・毛利軍の攻撃を受けて落城する。本城の西方には毛利軍の布陣したと伝える陣床山城があり、本城もそのとき陣所として築かれた可能性がある。『日本城郭体系』では尼子方陣城の可能性にふれた上で、築城途上で放棄したものと見ている。

 『芸藩通志』の城跡欄には本城に関する記載は無く、同書の三若村絵図には美波羅川をはさんで東岸にも同名の「旗返山城」が記載されている。ただ、この旗返山城は記載された位置から、本城の南方高原上の集落である田之河内にあるとされる「旗城」と混同したものと思われ、越路にある大番城を指したものではなさそうだ。なお、旗城の遺構はまだ確認出来ていない。

 城址美波羅川沿いの田園地帯を見下ろす丘陵上に残されている。美波羅川を挟んで対岸には江田氏の本拠旗返山城、そして西には旗返山城攻撃の際毛利方の陣所となった陣床山城が一望できるのだが、城の背後は山に遮られて見通しは効かない。

 丘頂にはなだらかな斜面が広がるが、明瞭な削平の痕跡は確認出来ない。丘頂を挟んで美波羅川に面した丘陵端側に3基の堀切、南側に2基の堀切が確認できる。南側の堀切のうち、内側のものは下方の堀切面に土塁を備えた小郭と見るべきかもしれない。堀切は標高320mの丘頂から南北に延びる尾根を遮断しているから、明瞭な曲輪が無いだけで最低限防御の態勢をとっていると言えそうだ。

 この城は大内・毛利軍による旗返城攻撃に際して築かれた陣城の可能性が高い。本城が旗返城方によって築かれたものか、あるいは大内・毛利方なのか、本城の占める位置や縄張りからは判断しにくいようだ。