柴城(しばじょう) 岡山県備中町東油野

標高620m 比髙470m 

主な遺構:土塁・畝状竪堀群

アクセス 

 備中町西油野の湯野小学校跡から南へ向かう。笹屋を過ぎ、小さな峠を越えて下っていくと入野に入る。東向きの緩やかな斜面には耕地が広がり、民家が点在する。左下方へ鋭角に分岐する狭い車道が見えたら城跡はその西方の丘にある。城は北側鞍部から取り付けば登りやすい。

f:id:kohanatoharu:20210504100154p:plain地理院地図(電子国土web)に加筆

 

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 柴しば城と書けば紫城(備中町平川)の間違いと思われかねないが、吉備高原を深く刻んで流れる成羽川の西側にあるのが平川氏の本拠紫城、川を挟んでほぼ向かい合う位置にあるのがこの柴城だ。柴城は文化庁の『全国遺跡地図』や『日本城郭体系』13広島・岡山にも載らない城跡であるが、本城の北方1kmの袈裟尾城を訪ねていたとき、たまたま「あの山が柴城」と指さされた城だった。

 江戸期に編纂された『備中誌』は、袈裟尾城についてこの地に勢力を有した赤木氏を城主と伝えるのだが、柴城については何一つ分からない。畝状竪堀群を備えた城だから戦国末期に使用された城ではあろうが、謎の城というしかない。袈裟尾城のついでに立ち寄ったに過ぎないのだが、林床を埋め尽くす竪堀群にあっと驚いたものだ。

 標高は620m。吉備高原の高原上の小集落を見下ろす低丘陵に築かれたものだが、城の背後は成羽川の刻む峡谷に臨んでスッパリと切れ落ち、深さは実に470mに及ぶ絶壁となっている。畝状竪堀群は成羽川に面した西斜面を除き、高原面に面した東側を中心に築かれている。その数37基。岡山県下で私が確認している畝状空堀群を持つ城の中では、岡山市北区御津金川城36基を上回り、美作市の山王山城60基、真庭市の篠向城46基に次ぐ数だ。主郭北端の土塁下方には背後に連なる稜線の鞍部があるが、放射状の竪堀群が築かれるだけで、堀切は無い。ここだけでなく数カ所の支尾根いずれにも堀切は入っていない。

 一方竪堀群に囲まれた曲輪部分は、主郭とその南下方に副郭をもつだけの単純な構成。主郭は北に連なる丘陵に面して定石通り土塁を備えており、下段の曲輪側面には主郭から延びてきた土塁が山腹斜面に備える。

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主郭

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畝状竪堀群