上合地城 岡山県真庭市下砦部上合地

別名:上合地砦、上合寺城

標高284m 比髙80m

主な遺構:土塁・堀切

アクセス

 砦部市街から北へ、県道58号を北へ進んでいくと道路右手に曹洞宗上合寺への案内板がある。ここを右折して上合寺へ向かう。寺の北東側に見える丘陵に城跡があり、南側の谷間から登る。 

       

             

 上合地城は丸山城から北西に延びる尾根の先端に近く、標高284mの小さなピークをつくるところに築かれている。両端を堀切で守られた小規模な城で、曲輪面の整地は不十分で未加工の斜面を残す。

 面白いことに主郭背後の尾根に設けた堀切は尾根をわずかに刻むだけの不明瞭なものだが、尾根端側は長さ40mほどの二重堀切で厳重に守られている。この二重堀切は曲輪の切岸下に沿って延びるから、横堀に近いかたちのものとなっている

 つまり城の背後よりも尾根端側の防御を重視したということで、丸山城の裾に配置された出城とみられる。 

 『北房町史』は丸山城からこの上合地に至る小道が搦手道であろうとし、さらに本城の機能を「丸山城の食糧などの補給基地か、根小屋の一つ」としている。

 

 上合地城を築いたのは備中の有力国人庄氏とされる。

 庄氏の系図「庄氏系譜」によると、天文2年(1533)庄為資は備中松山城主上野伊豆守を追って備中松山城に入り、砦部(丸山城か)に福井孫六左衛門、佐井田城に植木氏を置くなど、要所に一族を配置している。

 庄氏系譜では、上合寺城はこのとき為資が築城したとあるのだが、こんな小さな砦についてわざわざ記載するというのは腑に落ちない。ここに記される上合寺城は、背後にある丸山城を指していたのではなかろうか。

     〇印は上合寺の屋根、城は寺の後ろの低丘陵中にある。

 

参考文献

 「庄氏系譜」 (『岡山県古文書集Ⅰ』)

 北房町史編纂委員会『北房町史』1983年