別名 土井城
標高190m 比髙10m
主な遺構:堀切
アクセス
高梁市街から北房へ向けて国道313号を北上。才田方面への指示板のある交差点を過ぎて400mほどの所の交差点を左折。右手に丘を見ながら進んで行くと突き当たりのT字路がある。土井砦はこの分岐点の手前、低丘陵上にある。
石灰岩台地である阿哲台が急崖をつくって中津井の盆地に落ち込むところ、台地の裾から低丘陵が盆地の中央に向けて細長く延びている。土井砦はこの急崖下の低丘陵に営まれているから、高原上からは見透かされてしまう。軍事的に見れば誠に不適当な場所に築城しているように見える。
北東に細長く延びる丘に築かれた城は、東側に4重、西側に3重の堀切を設けて尾根筋を固めている。その深さは最大3mほどでしっかり刻まれたものだ。
東西の堀切に守られた曲輪は最大幅15m、長さ65mの規模を持つのだが、切岸の造成が明瞭なのは両端の堀切とその隣接部分だけで、曲輪の肩はだれ、整地はほとんどなされていないから、継続して居住できる空間とは考えにくい。
当城を山田氏の居館と記すものがあるのだが、遺構の状況からみて居館跡とは考えられず、斉田城の麓に配置した砦、出城とみるほうが自然な気がする。
『北房町史』は次のように記している。
「(鎌倉時代)山田重英がこの地に地頭として来たとき、この地に館を構え、斎田城に詰め城を築いた」
この記載は、当城が山田氏の居館であったと述べているのではなく、当城の所在地が「土井」であることから、この地に居館があったと記しているに過ぎないように思える。
当城の南方1kmの丘陵上には斎田(佐井田)城があって、町史は「斎田城最前線の警戒砦であろう」とも記している。これなら納得できるところだ。
参考文献
ウェブサイト「おかやま全県統合型GIS」