菅野城 岡山県加賀郡吉備中央町吉川南正行

標高370m 比髙20m  

主な遺構:土塁・堀切・竪堀・石垣

アクセス

 吉備青少年自然の家入り口交差点から西へ。約1km進むと県道307号と交わる十字路がある。この交差点手前に2つ並んだ溜め池がある。溜め池の堰堤を渡れば正面に見える丘が菅野城だ。

                           

 城は比髙20mほどの小丘に載る。丘頂の主郭(1)は一辺30mほどの丸みを帯びた方形で、土塁囲み。これを2・3・4の腰曲輪が三方から囲む。このような姿から、平地の方形居館を丘陵上にしつらえた館城といえそうだ。

 主郭背後堀切面の土塁は二股に分かれた不思議な形になっているが、櫓台が土取りなどで破壊された姿のように見える。背後の堀切脇から主郭南辺の土塁上に付けられた道も後世の作業道らしい。いずれにしても城の載る丘が平地に囲まれた低丘陵だけに、遺構は後世の土地利用による影響を受けているものと思われる。

 注目されるのは主郭を囲む2・3・4郭だ。主郭を土塁で囲むのは館城なら普通だが、周囲の腰曲輪まで土塁で守られている例はあまり見たことがない。このうち2郭を囲む土塁は主郭の下方斜面を削り出して造成されたもの。土塁外壁下に刻まれた竪堀の先端は2郭を囲む横堀となって防御を固める。腰曲輪の中で最も丁寧な普請がなされていることから、この城は南方面を意識した城と言えそうだ。

 主郭の南北両側に土塁の切れ目があって、これが虎口らしい。北斜面の登城路は腰曲輪を経由せず直接主郭に入っており、3郭はこのルートに備えたもの。一方、南斜面を登ってくる通路はまず土塁囲みの4郭へ入るが、道はここで途切れる。ここから2郭を経由して主郭に入っていたのかもしれない。

 

 備中の古城跡について解説した「古戦場備中府志」には菅野々城の名で載り、城主を土師兵部尉と伝える。土師氏は虎倉城に拠った伊賀氏の家臣だったという。

 城跡からは西方に備中南部の足守から加茂市場を経て伯耆大山に向かう大山道が見渡せるし、北方には伊賀氏一族の居城丸山城(当ブログでもかつて取り上げた)も視野に入る。低い丘ながら要地を占めた城となっている。

菅野城(北側から撮影)。

主郭。奥に土塁が見える

参考文献

 賀陽町史編纂委員会『賀陽町史』 1972年

 「古戦場備中府志」『吉備群書集成』第五輯 歴史図書社 1970年