標高200m 比髙30m
主な遺構:土塁・堀切・横堀・竪堀
アクセス
真庭市落合から国道313号を北上。3kmほど進むと県道390 号と交わる交差点がある。左折して県道に入り月田方面へ2kmほど進めば、当摩川に向けて突き出した低丘陵が見える。この尾根端に野田屋敷がある。
野田屋敷は、宮山城に連なる深山(標高526m)から北に延びた支脈の先端、北に日名集落を見下ろす比髙30mの丘に築かれている。
城の載る尾根には多数の古墳が分布している。2郭の中にも2基の古墳(図中b・c)があって、曲輪の普請によって崩された墳丘から薄暗い石室がのぞいていた。
「野田屋敷」の名前から、現地を訪れるまではいわゆる土居屋敷に相当する素朴なものと思っていたのだが、杉林の底には直線的に調えられた城壁をもつ遺構が残されていた。従って居館と城郭の機能を併せ持つ館城と見られる。
1~3郭のうち、麓を見下ろす北端の3郭は土塁囲み。高さ4m前後の切岸に守られた端正な姿の曲輪である。切岸下には横堀が巡り、堀底からの登城路が3郭に入ってくる。攻め上る敵兵は、虎口を見下ろす土塁囲みの小郭 b からの攻撃を受ける形となっている。
3郭を囲む横堀は両端で下方斜面に下る竪堀となる。北東尾根にはこれに並べてもう一基の堀切、さらに3郭東斜面にかけて二基の竪堀を連ねる。『落合町史』に載る縄張図では東斜面に5基の竪堀群が描かれているが、現地調査では確認できていない。
城の背後は二重堀切。二つの堀切に挟まれた a では城外側に土塁を盛って防御を固めているが、十分整地されておらず、曲輪とみるべきかどうか。
東斜面側を登ってくる山仕事の道によってこの堀切は一部破壊されているのだが、全体としてみれば、低丘陵上の遺構としては意外に保存状態が良い。
『落合町史』では、家中屋敷や蔵屋敷として使用されていたと伝えており、宮山城のある山の北麓に位置することから、宮山城の根古屋と考えられるとしている。
参考文献
尾崎蘭青『落合町史』作陽新報社 1972年