2度目のHENRO TRAIL⑦  足摺への長い道のり

11月1日、35番清滝寺・36番青竜寺に参拝し、民宿汐風に宿泊。

清滝寺の手前、仁淀川にのぼる朝日

清滝寺にのぼる石段

 清滝寺は土佐(高岡)市街から見上げる山の中腹にあって、険しい登り道となるから、登り口に近い笹岡タクシーでは荷物預かりのお接待をして下さっている。私もお世話になることに。

 高岡から宇佐に向かう道は県道39号塚地峠トンネルを抜ければあっという間だが、私のテーマは古い遍路道をたどること。

 塚地峠トンネル入口脇に休憩所があって、ここで一息つけば、いよいよ塚地峠を越える遍路道となる。この道は、かつて宇佐の港に水揚げされた鰹が行商人によって高岡に運ばれていた道だという(峠の案内板による)。

 古い遍路道は遍路が行き交うだけの、消えてしまいそうな細道になっていることが多いが、こうした歴史もあって、塚地峠越えは整備された立派な道となっていた。眺望の良さから、ハイキングコースとしても親しまれているようだ。

 塚地峠から眺めた宇佐漁港

 翌2日、宇佐から久礼の大坂遍路道まで歩き、テント泊。

 宇佐の青竜寺から37番岩本寺への遍路道は3つあって、その一つが巡航船で浦ノ内湾を越えて横浪に上陸するコース。

 弘法大師もこの海上ルートを進んだというから、これを使わない手はない。これまた歩かなくてすむ!

    

 埋立から横浪まで巡航船に乗り、上陸したら再び歩き。須崎市街を越えて安和まで来ると、遍路道は焼坂遍路道と呼ぶ峠越えの道となる。

 宿泊した汐風の女将からは「古い遍路道ではないが、安和海岸経由で久礼に向かったら」と勧められていた。

 なるほど、太平洋の荒波に削られた断崖絶壁につけられた道は、打ち寄せる波のざわめきを足下に聞きながら歩く、なかなか魅力的なコースとなっていた(下写真)。

安和海岸  左端に見えるのが道路。

 夕刻、たどり着いた久礼の町で夕食の食材を買い、岩本寺に向かう大坂遍路道へ。ここには昨年泊まった久礼遍路小屋があって、今夜の宿にと思っていた。

ところが、遍路小屋には数カ所に「宿泊禁止」の貼り紙が。

 いまさら引き返して別のねぐらを探す体力も無いし、考えあぐねた末、小屋の裏手にあった集会所裏手にテント泊。酒の勢いを借りて眠りについたのだが、寝床はゴツゴツしたアスファルトの上。結局充分睡眠出来ないまま朝を迎えることに。

 

 11月3日、窪川の高岡神社と37番岩本寺に参拝し、岩本寺通夜堂で宿泊。

 寝ぼけ眼で大坂谷を遡り七子峠へ。ここからは四万十川の支流仁井田川に沿う緩やかな下り道。途中ちょっと寄り道して高岡神社(別名「五社さん」)にお参りした。ここでも明治の神仏分離令で、別当寺だった岩本寺が神社から分離された歴史があるそうだ。

高岡神社の内、今宮。

 あいまいだが、岩本寺ではテント泊を認めて下さるという話を聞いた記憶が。

納経所でその旨を尋ねると、いいですよ、と案内されたのは少し離れた所にある倉庫のような建物だった。

 中にはベットが置いてあり、今夜の寝床としては申し分ない。有り難く泊らせて頂きました。当然火気使用は不可だから、夕食は冷たい弁当にお酒。

 

 11月4日、四万十川上流の窪川から足摺岬にある26番金剛福寺へ向けて出発。太平洋岸の佐賀公園でテント泊。 

 37番札所岩本寺のある窪川はJR土讃線土佐の終点。この先は土佐くろしお鉄道中村線に変わる。駅を訪ねてみると、線路はつながっているのだが「JR窪川駅」に「土佐くろしお鉄道窪川駅」二つの駅舎が並んでいた。

 岩本寺から次の札所金剛福寺までは81kmもある。土佐くろしお鉄道に乗って、今夜の宿泊地佐賀公園に早く着けば休養日にもできる。

粗末な理屈を並べたが、実は歩きたくないだけ(笑)

 窪川から荷稲(かいな)駅まで乗車し、予想通り昼過ぎに佐賀公園に到着。早速、湿気たテントと寝袋を天日干し、悪臭を放つ靴下を洗って昼寝。

夕刻、近くのレストランで豪華食事の後、早い就寝。

 良い休養日になった。

  朝霧のかかった窪川駅、土佐くろしお鉄道の列車。

 

 5日朝、荷物をまとめていたらテントの中にゴキブリが一匹。すると夜中、顔や首に感じていた感触は・・・・

   遅まきながら  ギャアア

 

 この日四万十川まで歩き、川沿いの大師堂に泊。

 大師堂では遍路の大ベテラン2人と同宿に。お一人はもう20年托鉢しながら遍路を続けていて、文字通り遍路道の上を生活の場としている人。もうお一人も50回以上八十八カ所を回った人だった。

 これから先寒くなるにつれ防寒着などが要るだろうし、暖かくなれば邪魔だ。そんな四季の変化にどう対応して生活するんだろう。歩き疲れて辛い思いはしないのか。

お聞きしたいことはいっぱいあったが、聞くことが出来ず、軽い雑談で眠りについた。

        四万十大橋からの眺め(上流側)

翌6日、強い風に雨が降ったり止んだりの中、私は出発したのだが、お二人はここに止まるという(つまり連泊)。

 私は昨年ザックを雨で濡らした経験から、雨具をポンチョに替えていた。これで万全と思っていたのだが、やはり問題あり。汗や湿気でTシャツが、さらにポンチョの内側までぐしょ濡れになってしまった。昨年の方が優れていたようだ。

 ひどい雨の日は動かない。達人の判断の方が正解だった。

 

 昨年の雨対策はこちらの記事にて、

 

kohanatoharu.hatenablog.com

 夕刻、着衣と装備をかなり濡らし、疲れ切って民宿「大岐の浜」に到着。真っ先に身ぐるみ脱いで洗濯、そして入浴。

 11月7日、宿に荷物を置いて26番金剛福寺に参拝。ただ往復36kmもあるから、半分ほどをバス移動。大岐の浜に連泊。

 

 8日、宿から遍路道を下ノ加江まで逆戻りし、三原村経由で39番札所延光寺に向かったのだが、この日は三原村の中央公民館裏手にテント泊。

    

(続く)