四国遍路19日目、岩本寺のある窪川から有井川まで行き、伊田観音堂で泊。
21日目、以布利の民宿に宿泊。
22日目、金剛福寺に参拝ののち折り返し、大岐の浜でテント泊。
三十七番岩本寺から足摺岬の三十八番金剛福寺までは85km程度の道のり。上記のようにこれを3日半で歩いた。
高知県にはJRから切り離されて民営化された土佐くろしお鉄道がある。19日目の遍路道沿いには中村・宿毛線が走る。私としてはこれに乗って応援しないわけにはいかない。佐賀公園~有井川間の6km程度を乗車。
20日目は20km足らずの行程だから、四万十川のほとりに余裕の到着。清流の呼び声の高いこの川、河口まであとわずかなのに、川岸には山が迫ってまるで中流の雰囲気を醸す。それに川幅いっぱいに水が満ちている様は今まで見たことのない風景だった。四万十大橋の近くには「大師の渡し」があって対岸との間を結んでいたらしい。
翌21日目は昼前後に15mm/h程度の強い雨と風という予報が出ていた。
13日目に装備を濡らしたのは、ザックの腹(背中に接する部分)とショルダーベルトがザックカバーで覆われていないため、ここから雨水がしみこんでいたためだ。
この対策をするためホームセンターに立ち寄り、厚手・大型のビニール袋を購入。下図のような防水の工夫をしたのだが、これが大正解。この日予報通りの強い雨と風。雨の中を一日歩いたが、装備は濡らさなかった。
縄文時代の貫頭衣のようにビニール袋を頭から被れば、ザックの腹と両肩の防水が
同時にできる!
ビニール袋の一部を切取って菅笠のてっぺんに貼り付ければ、笠にしみこむ水も防げる。
22日目、宿泊した以布利の宿に大きい荷物を預け、参拝用具などわずかな荷物で足摺岬の金剛福寺を往復。荷物を受け取って大岐の浜まで移動し、ここでテント泊。
林の広がるこの浜にはキャンプ場があることになっているのだが、どこにあるのか分からず、結局遊歩道脇の路肩にテントを設営した。これがまたまた大正解。林の中は車の騒音や打ち寄せる波音がかすかに聞こえるだけだし、分厚い落ち葉のじゅうたんが心地よく、日暮れから翌朝まで、この旅一番の熟睡となった。
23日目、大岐の浜から三原村ルートを遡り「三原のじまんや」裏手の軒下にテント泊。
25日目、歩き遍路を中断してバスで愛媛県入り。四十番観自在寺参拝ののち帰郷。
23日目大岐の浜を出発してまもなく、民宿大岐の浜の前で宿泊客を見送っていた女将さんに呼び止められた。用意した弁当が余っているから持ってけという。ついでに休んで行きなさいと宿の食堂に通されてコーヒーを御馳走になり、飴・お菓子などのお接待を受けることになった。
結局この弁当とお菓子だけがこの日の昼食・行動食となった。この場で改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
この日の夕食は旅の定番となったご飯に振りかけ・味噌汁。翌朝は鍋の中の残飯に水を足して「ちょっと雑炊」を加え、無人市で買ったネギをたっぷり入れて煮れば「ネギ雑炊」の完成。実に美味。
朝の雑炊は残飯が処理できるだけでなく、鍋にこびりついた飯粒を一粒残さず食べられるから、食後はロールペーパーで鍋を拭き取るだけでいい。夕食前に1Lほどの水が手元にあれば、テントから一度も外に出ることなく、2度の食事が出来る。実に合理的な献立だ。
夕食はご飯に振りかけ、それに味噌汁(左)。右は朝食のネギ雑炊
しばらくの間、靴を履く前には足の痛みが消えており、今日も歩けると自信が湧いていたのだが、この日目覚めた時には足のしびれや痛みが残っており、宿毛市まで歩いたところで遍路の中断を決心した。
高知市に入った頃から最低限の目標を愛媛県入りと考えていたのだが、県境を目前に中断とは残念無念。突然の幕切れとなってしまった。
実は足摺に近づくにつれて道ばたのツクシが次第に増え、ちょうど採り頃になっていた。うかうかしていたら、あのほんのりと甘く苦いツクシの煮物が食べられなくなってしまう。それに畑仕事も待っている。4月の初めには帰らねば、と思っていた矢先。
少し帰りが早くなってしまったが、ま、いいいか。