2度目のHENRO TRAIL④ 土佐街道

 10月24日、22番平等寺から徳島県最後の札所23番薬王寺へ向かう。今夜はその手前、恵比須浜キャンプ場でテント泊。

 25日、薬王寺参拝したのち日和佐~牟岐間をJRで移動。牟岐から高知県境の宍喰まで歩き、ゲストハウスみつ佳に宿泊。

 

 土佐に向かう街道は何本かあり、いずれもが土佐街道と呼ばれていて、今歩いている遍路道もその一つだったようだ。平等寺からしばらく進むと遍路道は細い峠越えの道に入る。その入口に「土佐街道」の看板が設置されていた。

 ゆるやかな上り坂を登れば貝谷峠。これを越えると太平洋岸に出る。遍路道はさらに幾つもの峠を越え、入り江の集落を経由しながら、徳島県最後の札所23番薬王寺へ。

 

 薬王寺を過ぎると土佐街道はJR牟岐線に沿った内陸の道。牟岐で一度海岸に出るが、街中を過ぎればすぐ大坂峠への上り。 峠道は海岸沿いの切り立った崖の上に付けられているが、さしたる急坂もなく、歩きやすい道となっていた。

大坂峠

 ところが、徳島県の南端宍喰(ししくい)から高知県東陽町に越える古目(こめ)峠はいささか様相が違っていた。この道はへんろみち保存協会の地図にも記載されていない古い遍路道なのだが、昨日の宿「みつ佳」の女将によると、これがかつての土佐街道だったそうだ。

 ヤマレコの地図(下図)をみるとオレンジ色のドットが並んでおり、これが古目峠の道らしい。地図でわかるように、小川を渡るといきなり急傾斜の尾根に取り付き、そのまままっすぐに峠にむかう険しい道となっている。

        

 ならば古目峠を越えて土佐入りしなければ、と意気込んだのだが、道は荒れておりまもなく断念。トンネルを抜けて高知へ。

 古い街道の道は、人の通行以外に荷物を運ぶ牛馬も行き交ったはずだから、こんな険しい峠道は何とも不可解で、調べてみると四国遍路情報サイト「四国遍路」に次のような記事が載っていた。

 かつて土佐へ入國する際に厳しい取り調べが行われていた古目番所を過ぎて、旧土佐浜街道であり阿波・土佐國境の峠である古目峠を目指します。かもめ橋を渡り宍喰の街から離れます。今でこそこのような陽光の下、徳島県に別れを告げる形になりますが、以前、特に藩政期はそのようなことは無かったようです。
 お遍路さんがこの場所を後にするということは、阿波を離れ土佐に入ることを意味する。この時代の土佐國は山内家による非常に厳しい鎖国政策が取られ、領内においてはお遍路さんでさえ厳しい制限が設けられていました。          

 巡礼道を外れてはいけない
 参拝は16ヶ寺の本札所に限る
 宿泊は遍路宿・善根宿のみ
 同じ場所に連泊する場合は庄屋の許可が必要    (「四国遍路」)

 

険しい峠道となっていることと、土佐藩鎖国政策に何か関係があるのだろうか。

(続く)

 

参考文献

 四国遍路情報サイト「四国遍路」