HENRO TRAILを歩いた ⑦(続編)

 この春3月6日から30日まで四国遍路の道を歩き、愛媛県最初の札所40番観自在寺で一旦中断していた。歩くに暑くない10月末を待って遍路を再開。今回も同じく昔の遍路道を忠実に歩くこと、まかない付きの宿泊施設に出来るだけ頼らない歩き遍路を目指した。

 41番札所龍光寺から88番大窪寺(結願!)までの遍路道歩きの模様を報告する。

 

 10月26日午後2時頃、宇和島市三間町の道の駅みまからスタートし、41番龍光寺・42番仏木寺に参拝して西予市宇和町の民宿兵頭に素泊まり。

 三間町遍路道脇は見渡す限りの秋桜畑だった。花に見入っている二人に近寄ってみれば、何とまあこれが人形!

一面の秋桜畑(宇和島市三間町

 この先歯長峠を越えて宇和町に入るのだが、峠は標高480mの難路。峠越えの古道は急坂とならないよう、峠のある鞍部に向けて斜めに取り付けてあった(下図)。峠を越える人や荷物を運ぶ牛馬を考えた工夫のようだ。

      

                    歯長峠(赤線が古い遍路道

 

歯長峠手前から宇和海方面を望む

 2日目は43番明石寺に参拝し、卯之町鳥坂峠を経て大洲「十夜ヶ橋」まで。

 民宿を出発したのは7時前なのだが、すぐに自転車で通学する中学生が次々に「おはようございますっ」と元気な声で挨拶をし通り過ぎていく。クラブ活動の「朝活」とも思えず、何とも勤勉なこと。土地柄なのだろうか。

 卯之町(西予市宇和町)は、江戸時代宇和島藩の在郷町として栄えたところ。下水のマンホールには国の重要文化財開明学校」がデザインされていた。

早朝の卯之町(宇和島市宇和町

           

 卯之町から大洲に越える鳥坂峠は標高470m、遍路道の難所となっている。現在の国道56号は鳥坂トンネルを抜けるが、交通量が多く歩き遍路にとって最も危険なトンネルと言われる。一段高い歩道を備えたトンネルですら、大型自動車が通り過ぎるときの轟音と風は恐怖だ。何が何でも峠越えの遍路道を歩かなければ。

  

 

 今日の泊まりは別格霊場8番札所「十夜ヶ橋」と決めていた。橋の下に弘法大師が野宿したことから、遍路が橋を渡るとき杖を突くなという習慣の起こりとされる場所だ。歩き遍路ならば橋の下に寝るべきだろうが、軟弱にも私は通夜堂に泊まらせて頂いた。