2度目のHENRO TRAIL⑤  神峯神社の秋祭り

 11月26日、徳島県から高知県に入って24番最御崎寺に参拝。

 徳島県最後の札所薬王寺を過ぎれば、次の札所最御崎寺まで75km。高知県に入れば交通量の多い国道55号を歩くことがほとんど。

 延々と続く海岸沿いの国道は変化に乏しく、道路脇の歩道も充分に整備されていない。車におびえながらこの道を歩き通す持久力・忍耐力が自分には無い。おまけに宿もなかなか確保出来ないから、高知県の東洋町から世界ジオパークセンターまでの間、32kmをバスで移動することに。

 室戸には弘法大師が修行した海岸の洞窟「御蔵洞(みくろど)」がある。洞窟は海岸の切り立った崖の下にあるから、打ち寄せる波に削られた海食洞らしい。これにお参りした後、最御崎寺へ。その後室戸の旅館「うまめの木」に宿泊。

 「御蔵洞」

 27日、室戸西海岸側の25番津照寺・26番金剛頂寺に参拝し、昨年もお世話になった善根宿「ととろっと」へ。ご主人は変わらずお元気で、暖かくもてなして下さった。

 

 28日、参拝する27番札所神峯寺は標高430mの山上にある。急勾配の険しい登り道は「まっ縦(まったて)」と呼ばれており、これが四つめの「遍路転がし」となる。

 車道をショートカットしながら、尾根に沿ってまっすぐ伸びる遍路道を進むと、神峯寺山門と鳥居が隣り合わせになって現れる。鳥居は寺の上方にある神峯神社のもので、神仏習合の名残りらしい。

 この日はたまたま神峯神社の秋祭りの日だった。山上の神社から若者に担がれた神輿が山を下って人里へ、さらに神輿は海の中まで入るという。

残念ながら最後まで見届けることが出来ず、その場を後にした。

独特のかけ声をかけながら里の集落を一巡りした後、海へと向かう。

神輿の行列にはお稚児さんも。

 28日、27番神峯寺に参拝し、安芸市の某旅館へ。

 古い遍路道沿いには食堂が無いことが多いから、昼食抜きになることがしばしば。旅館に泊まるからにはしっかり食べて栄養をつけたいところだが、この日泊まった安芸市中心部の某旅館は素泊まりしか無いという。数日前やむを得ず予約していた宿だった。

 応対に出た老女将は私の大きなザックを見て、一通り遍路の悪口を言ったあげく、

「野宿遍路?」

「昨日はどこに泊まった?」

「明日は?」

 まるで不審者に対する警察官の職質である。その間、私は重いザックを背負ったまま。心配りも何もあったものではない。

探せばもう少しましな宿があるのだろうが、今更どうしようもないと気分悪く部屋へ。

 こんな時、遍路を止めたくなってくる。続ける理由はわずかしか無いのに、止める理由は山ほどある。

〈疲れた〉

(肩が痛むし、しびれてきた〉

〈一足ごとに痛みが走る〉

〈夜眠れない〉

〈こんな辛い思いをしでまで歩く意味は何?〉

 

 翌29日早朝、それでも気を取り直して出発。その前に

  女将を激しく一喝! 

鬱憤を少し晴らした気分。出発してすぐ、公園の東屋に一張のテントが見えた。

そう、泊まるべきではなかった。

安芸市の公園で見かけた(野宿遍路の?)テント

 安芸市街を外れてしばらく進むと芸西村琴ヶ浜松原へ。遍路道は海岸の砂浜に広がる松原の中に伸び、脇には土佐くろしお鉄道の「ごめんなはり線」が走る。

 線路の高架下には、遍路の宿泊情報を提供されていた萩森さんの遍路小屋があった。確か昨年通過した時には建物だけが残っていて、ここでの宿泊・休憩のお接待は終了していたようだった。

 ところが今年は跡形も無くなっており、萩森さんは別の場所で善根宿を続けておられるそうだ。お会い出来る機会があるかもと期待していたのだが、残念。

 

 芸西村には遍路休憩所が何カ所もある。その中で介護施設洋寿荘とミタニ建設の用意して下さっている休憩所は、横になって休息できる小上がりを備えた立派な施設となっていた。

 休憩所・遍路小屋の多くは腰の高さの壁だったり、スノコ壁だったり。雨風をしのげない造りのものが多く、中には突飛な姿の休憩所まである。

 その中でこれらの休憩所は使い勝手の良さを重視した造りとなっていた。そういえば29番金剛頂寺登り口にあったミタニ建設の休憩所も遍路に優しい造りだった。

 

 今夜の宿は昨年3月にも泊めて頂いた28番大日寺通夜堂。その日は強い雨で装備を濡らしていて、通夜堂に電気ストーブを用意して下さったことが記憶に残っている。

(続く)