中郡衆の城と館④ 市川氏

 市川氏も中郡(なかごおり)に所領を有する武士だが、中郡衆には含まれない。

 白木町市川にある星ヶ城の主とされる市川経好は、山県郡新庄の小倉山城主吉川国経の孫である。

 経好の従兄弟にあたる吉川興経は、天文18年(1549)吉川の家督毛利元就の二男元春に譲った後、幽閉された深川ふかわで殺害される。その後経好は市川村に蟄居し、その地名によって市川を名乗っている(『萩藩閥閲録』市川三右衞門家書上ほか)。

 

 白木町市川にある城について、『芸藩通志』ではー

  小田城 小越・市川二村の間にあり、

  星ヶ城 市川村にあり、吉井山、又元井山といふ、井上元兼 一に信経 所居 

     又市川式部ともいふ

 

 天文19年(1550)、毛利元就は有力家臣であった井上氏の横暴をとがめ、井上元兼父子をはじめ一族三十余人を誅殺した。その後、井上氏一族の居城していた星ヶ城には市川経好が入城している。

 1星ヶ城 2 小田城 3 木舟山城 4 順教寺 5 亀山神社                           (地理院地図Vectorより作成)

 星ヶ城は標高239mのとんがり山にあって、城に登れば三篠川の川筋に大きく視界が広がる。1郭は2区画に分かれるが、全体として東西25m南北30mほどの規模。北端には土塁を備え、その下方を三重堀切で遮断している。西下方の2郭も堀切面に土塁を備えており、この土塁脇には井戸跡とされる素掘りの穴がみられる。

 星ヶ城から南に延びる尾根の先端にはごく小規模な砦、小田城がある。

星ヶ城縄張図

星ヶ城全景(南側から撮影、手前は三篠川

小田城縄張図

 三篠川の対岸にある順教寺は市川氏の土居屋敷跡と伝え、巨石を使った石垣が残る。『白木町史』によると、順教寺の山号である木舟山は背後にある山の名で、城跡とも考えられるとあったから調べてみた(下図)。

 小規模で整形不十分な削平地が尾根筋に並び、背後は二重堀切で遮断しているから城跡と思われ、仮に木舟山城と呼ぶ。

(仮称)木舟山城縄張図

順教寺(伝市川氏居館跡)

 三篠川西岸にある亀山神社(旧称小田迫神社)は井上氏ゆかりの神社で、天文7年源元盛(誅殺された井上元兼の一族)が檀那となって本殿を造立したものという(『広島県神社誌』)。

亀山神社(旧称小田迫神社)

参考文献

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会 1973年

 広島県神社誌編纂委員会『広島県神社誌』1994年

 岡部忠夫『萩藩諸家系譜』琵琶書房 1983年

 高田郡史編纂委員会『高田郡史』資料編  1981年

 高田郡 『高田郡誌』 1913年

 広島市役所編『白木町史』  1980年