中郡衆の城と館 ② 井原氏

 中郡衆のうち、井原氏は白木町井原の南端に近い鍋谷城を本拠とし、その麓には井原氏の居館があった。そのほか中心集落井原市をとり囲むように、樋詰城・戸石城・北田城が築かれていた。

  

芸藩通志』城墟欄では次のように記している。

 鍋谷城   井原村にあり、井原小四郎所拠、

 樋詰城 北田城  並に同村にあり、樋詰城は樋詰某所居といふ

 

       

 鍋谷城は神の倉山主稜線から西に派生する支尾根の小ピークにあって、背後を三重堀切で遮断している。1・2郭には数カ所に石垣が見られ、北斜面には「国郡志御用ニ付下調書出帳」に「深さ当時六間壱尺」と記す深井戸もある。

    

                                  鍋谷城縄張図

  

                 鍋谷城主郭

   井戸跡

 

 

 樋詰城は井原市から西に見上げる尾根上のピークに築かれている。二つの曲輪からなるが、いずれも小さな段差の小区画に分かれる。

 城の見所は発達した空堀で、1郭切岸下には背後を遮断する堀切と一体化した横堀が巡り、この横堀から発生する竪堀が5基下方斜面に延びる。2郭東下方では3基からなる畝状竪堀群がみられる。畝状竪堀群の脇から2郭に上る通路があって、これが虎口らしい。

 城主と伝える樋詰刑部少輔は井原元師の子で、天文9年(1540)の郡山合戦で戦死している。

樋詰城(日詰城 樋爪城)縄張図

 

 戸石城は、樋詰城から見下ろす位置にあって、城の背後には不明瞭ながら堀切が刻まれる。ここから北斜面側に回り込むと、これまた不明瞭ながら畝状竪堀群が見られる。

 城の由来は不明だが、上記のような位置関係から井原氏に関連した城と思われる。

戸石城縄張図

 

北田城についてはこちら

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参考文献

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会 1973年

 広島県神社誌編纂委員会『広島県神社誌』1994年

 岡部忠夫『萩藩諸家系譜』琵琶書房 1983年

 高田郡史編纂委員会『高田郡史』資料編  1981年

 高田郡 『高田郡誌』 1913年