中郡衆のうち、井原氏は白木町井原の南端に近い鍋谷城を本拠とし、その麓には井原氏の居館があった。そのほか中心集落井原市をとり囲むように、樋詰城・戸石城・北田城が築かれていた。
『芸藩通志』城墟欄では次のように記している。
鍋谷城 井原村にあり、井原小四郎所拠、
樋詰城 北田城 並に同村にあり、樋詰城は樋詰某所居といふ
鍋谷城は神の倉山主稜線から西に派生する支尾根の小ピークにあって、背後を三重堀切で遮断している。1・2郭には数カ所に石垣が見られ、北斜面には「国郡志御用ニ付下調書出帳」に「深さ当時六間壱尺」と記す深井戸もある。
鍋谷城縄張図
鍋谷城主郭
井戸跡
樋詰城は井原市から西に見上げる尾根上のピークに築かれている。二つの曲輪からなるが、いずれも小さな段差の小区画に分かれる。
城の見所は発達した空堀で、1郭切岸下には背後を遮断する堀切と一体化した横堀が巡り、この横堀から発生する竪堀が5基下方斜面に延びる。2郭東下方では3基からなる畝状竪堀群がみられる。畝状竪堀群の脇から2郭に上る通路があって、これが虎口らしい。
城主と伝える樋詰刑部少輔は井原元師の子で、天文9年(1540)の郡山合戦で戦死している。
戸石城は、樋詰城から見下ろす位置にあって、城の背後には不明瞭ながら堀切が刻まれる。ここから北斜面側に回り込むと、これまた不明瞭ながら畝状竪堀群が見られる。
城の由来は不明だが、上記のような位置関係から井原氏に関連した城と思われる。
北田城についてはこちら
参考文献
岡部忠夫『萩藩諸家系譜』琵琶書房 1983年