北田城   広島市安佐北区白木町井原 

標高190m 比髙35m

主な遺構:土塁・堀切・竪堀・井戸

アクセス

 広島から三次方面へ向けて県道37号を北上。井原郵便局前を過ぎて100m、右折して三篠川を渡る。道路脇の指示板「神ノ倉山登山コース」に従って進むと林道に入る。坂道を上っていくと切り通しに入るが、すでにここは城の背後を固める堀切の中で、主郭はその左手にある。

        f:id:kohanatoharu:20220213165338p:plain

f:id:kohanatoharu:20220213165248p:plain

 北田城は三篠川中流域、桜の名所として親しまれてきた神ノ倉山への登山道脇にある。神の倉山から三篠川にむけて延びた支脈の先端、比髙40mの低い丘に築城されたものだが、城に登ってみると意外に要害の地形となっている。

 主郭は長辺35m短辺20mの規模で、背後には高さ3mほどの櫓台、北斜面には井戸跡と思われる窪地が残る。城の南北両斜面は切り立った急斜面であって、唯一防御の弱点となる東側尾根続きには現在林道の通る大堀切、その外側にさらに2基の堀切が山側に築かれているから、堀切は合計3重。それぞれ下方斜面に大きく伸びているから、背後への備えはこの規模の城としては非常に厳重なものとなっている。 

 主郭の西下方、二股に分かれる尾根上の郭は小さな区画で複雑に分割されている。曲輪の南側側面を固める土塁は主郭から下降する斜面を削り出して整形したものだ。

 

 江戸期の地誌『芸藩通志』には城主等に関する記載はなく、同書付属の村絵図では当城の位置に「古城跡」その麓に「北田」の書き込みがあるから城名は地名によるもののようだ。

 旧高田郡南部にあたる三篠川流域(現在の安佐北区白木町と安芸高田市向原町一帯)に勢力を有した内藤・井原・秋山・三田などの各氏は中郡衆と呼ばれ、16世紀初頭には毛利氏に服属している。井原一帯に勢力を有した井原氏は北田城の南方2kmにある鍋谷城を本拠としており、三篠川対岸には一族樋詰氏の拠る樋詰城もある。井原の中心集落を見下ろす位置にある北田城も井原氏一族の城と思われる。

 城跡は地域の皆さんによってよく手入れされており、主郭には北田城の説明板が設置されている。

f:id:kohanatoharu:20220213165707j:plain

主郭

f:id:kohanatoharu:20220213165915j:plain

主郭脇から背後の堀切を撮影

f:id:kohanatoharu:20220213170002j:plain

案内板

参考文献

 広島市教育委員会『山城』 1982年

 岡部忠夫 『萩藩諸家系譜』  琵琶書房  1983年

 『日本城郭大系』13広島・岡山  新人物往来社 1980年