中郡衆の城と館 ③ 内藤氏

 中郡衆のなかで、内藤氏の領域は三篠川の最上流側にあって、現在の行政区域では唯一安芸高田市に属している。

 『芸藩通志』巻68 の城墟欄では次のように記す。

 田屋城 茶臼城 並に長田村にあり、田屋は毛利家人内藤河内守所守、茶臼武安某といふ、

1 田屋城 2 茶臼山城 3光明寺跡・尼子氏ゆかりの墓 4真徳寺 5 長田神社                        (地理院地図Vectorより作成)

 内藤氏が本拠とした田屋城は比高100mほどの尾根上に築かれている。城の北麓にはかたくりの自生地が広がり、花の時期にあたる四月初めには多くの人出で賑わっている。

 城の背後を遮断する二重堀切は下方斜面に伸ばされて合流する。その長さは延長100mを越える大規模なものだ。大堀切を背にした1郭は堀切面に高さ3mの土塁を備える。

田屋城縄張図

田屋城1郭。奥にみえるのは土塁


 2郭に残る石組み井戸は『高田郡誌』に「廃井あり、深さ五間水涸れたり」と記されている井戸だ。恐る恐る巻き尺を垂らしてみると、深さは郡誌記載の通り確かに5間(9m)。周囲に柵はなく転落したら一巻の終わりである。ご用心を。

 最下段の3郭は荒神社が祀られていた曲輪で、側面を防御する竪土塁と竪堀もこれまた見事なもの。この竪土塁は2郭とを結ぶ通路としても利用されていたようだ。

 北麓からの登城路は3郭に入り、西斜面の小郭、さらに2郭を経由して1郭に導かれる。

2郭 深さ9mの石組み井戸

2郭から3郭を見下ろす



 茶臼山城についてはこちら

kohanatoharu.hatenablog.com

 

 田屋城の北、三篠川対岸にある長田神社は、天文2年(1533)毛利元就が有留に勧請し、その後田屋城主内藤河内守がこの地に遷宮したもの。また、西方にある真徳寺は内藤河内守の菩提所と伝える。

 

内藤河内守の菩提所と伝える真徳寺

参考文献

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会 1973年

 広島県神社誌編纂委員会『広島県神社誌』1994年

 高田郡 『高田郡誌』 1913年