標高290m 比高140m
主な遺構:土塁・井戸・堀切・竪堀
アクセス
向原中心街から豊栄方面へ向け県道29号を東へ約2km、川岸に迫る急傾斜の山が前方に見えればこれが久志城だ。城山手前で左折し大土山方面へ向かう林道に入る。約500m進むと右手に久志城の案内板、さらに登山口を示す石柱が設置されている。
久志城は南北100m東西70mほど、小規模ながら整った姿の城であって、中世山城を実感できる城の一つだ。山頂一帯は桜が植えられ、憩いの広場として整備されている。
城の載る丘陵は切り立った急崖に囲まれるから、城への道筋は背後の丘陵につながる北側からのみだ。尾根筋を守る2筋の堀切には土橋が架かる。土橋を渡って進攻する敵兵は、土橋を見下ろす2郭からの攻撃を受けることになる。
2郭の切岸下を回り込み2郭背後の浅い堀切に達したとしても、再びこの堀切を見下ろす1郭からの攻撃を受けるという、なかなか見事な構成を見せる。ただこの堀切から先、通路は主郭下方の腰曲輪をへて1郭へ通じていたものと思われるが、その道筋は確認できていない。
虎口防御の要となる2郭は、堀切に面して土塁を構え、脇には小さな段差で小郭が付属する。また東側下方には井戸跡と思われる窪地も見える。2郭と1郭を隔てる堀切は両側斜面に伸びて竪堀となるが、さらに2郭下にかけて竪堀が並べ築かれており、進攻する敵兵が山腹斜面へ回り込むのを阻んでいる。
城のある坂は三篠川沿いに遡って峠を越え、椋梨川・沼田川沿いに下って三原に至る三原往還が分岐する交通の要地であって、往還沿いにあった坂市は戦国時代から賑わいを見せていたらしい。
西方1.5kmには毛利氏の一族坂氏の本拠日下津城、さらにその先に内藤氏の拠る田屋城を望む。東方には三篠川の谷筋が見通せる恰好の場所を占める城だ。『芸藩通志』は、久志城について城名を挙げるだけで、城主名は伝わらないとするが、芸藩通志編纂のため村々から提出させた国郡志下調書出帳では日下津城の出城だろうとしている。
参考文献
向原町誌編さん委員会 『向原町誌』 1989年
安芸高田民俗博物館『お城拝見』 2015年