HENRO TRAILを歩いた ⑫ ついに結願!

 20日目、84番屋島寺・85番八栗寺・86番志度寺に参拝し、志度のいしや旅館に宿泊。遍路歩き最後の夜、宿のご主人・女将の暖かいもてなしに感激。

 

 屋島寺は山頂部が平坦で周囲を崖に囲まれたテーブルマウンテンにある。参拝したのち急崖につけられた遍路道を恐る恐る下っていく。麓に近づいたあたり、急坂の濡れた路面に苔が生えていた。おまけにコナラの落ち葉がかぶさっている。この4つが揃っていたから即アウト。見事に転倒し足を痛めてしまった。ご注意あれ。 

 次の八栗寺屋島と同じく険しい岩山にあって、急坂を登る遍路道の脇にはリフトがあった。痛む足を抱えて乗らない手はない。

八栗寺のある五剣山は険しい岩山。奥には志度が見える。(屋島から撮影)

 八栗寺を打ち終えて山を下ると、御褒美のようにお接待所が待っていた(下写真)。 ゆったりと座ってくつろげるスペースに隣接して、鉄オタの喜びそうな古い「ことでん」の電車が置いてある。接待のお品書きはジュース・お茶・ソフトクリームなど。私は迷わずソフトクリーム、有り難く頂戴した。

 そういえば髙松市内に入ったあたりからお接待所が多くなったような気がする。遍路を大切にもてなして下さっていることに感謝するばかり。

牟礼のお遍路さんお休み処

無人の縁側には冷蔵庫が置いてあり、中にはお茶やお菓子類が(髙松市内)

86番札所志度寺

 

 21日目(11月15日)、87番長尾寺、88番大窪寺に参拝し、ついに結願

 大窪寺への道の中ほどにあるお遍路交流サロンに立ち寄って、2つある大窪寺への道の情報を得た。結局私は私は標高774mの女体山を越えるルートを選択。女体山は名前とは裏腹にごつごつとした険しい岩山。山頂を越え急坂を300mほど下ったところに大窪寺がある。裏口からの参拝となった。

 参拝を済ませて山門を出ると土産物店や食堂が並び、別ルートで来たらしい遍路さんたちでごった返していた。私も結願のお祝いをしなきゃ。

女体山山頂から瀬戸内海方面

 大窪寺。奥に見える岩山に女体山からの遍路道がつけられている。

 

四国遍路後半21日間のまとめ

 移動距離は484km。交通機関利用部分が10kmほどあるから、歩いたのは470km余り。

 登りの量は累積で9600m。

今回歩いたコース(ヤマレコ「小花と春の四国遍路」より)

 3月に歩いた徳島・高知に比べ、愛媛・香川では市街地の舗装道路を歩く部分がさらに多いと考えたのだが、高い山にある札所がいくつもあって、未舗装の小道(trail)歩きを充分楽しむことが出来た。

 宿泊について、今回の装備はテントをツェルトに替えたため、テント泊はゼロ。宿泊場所の内訳は下記の通り。

  遍路小屋         1日

  通夜堂・太師堂・善根宿  9日  

  旅館・民宿        10日(うち素泊まりが4日)   

  娘夫婦宅 1日

 

 賄い付きの宿泊施設に出来るだけ頼らない歩き遍路を目標としたが、このように不十分な結果となった。テントは薄い布わずか2枚でプライベートスペースをつくれるから、ザックの荷物を広げて炊事するには不可欠だった。旅館・民宿が増えた理由もそこにある。

 テントを外したのはテント泊の適地が愛媛・香川には少ないと考えたのだが、その結果持参した食料・炊事用具は必要性の低い余計な荷物となってしまった。

 持ち歩いたものの一つに飲み水用のペットボトルがある。今回は初日に買った「カルピスソーダ」。これは炭酸飲料で圧力に耐える頑丈なものだが、熱には弱い。宿に入ったとき、翌日に備えて急須のお茶を入れ繰り返し使っているうちに、次第に縮んで下写真の姿に。

 しかし、ザックの脇ポケットにはピッタリなじむ!

 

 四国八十八ヶ所霊場の巡礼を終えた遍路は高野山にお礼参りをする習慣があるという。高野山は「吉野千本桜」と呼ばれる山桜の名所。私も好きな花は桜。それも一つ一つの木に個性のある山桜が格別好きだ。行くのなら山桜の咲く季節に。

 最後にー

 まかないつきの宿に出来るだけ頼らない歩き遍路とは、結局四国の皆さんのおもてなしに甘えた旅だったということだ。通夜堂を用意して下さっている札所、善意の宿善根宿、旅館や民宿、地域の皆さんが管理されている太師堂、至る所に設置されていた休憩所・遍路小屋、有人・無人のお接待所、通りすがりの人のお接待、遍路道の手入れ。

 挙げれば限りが無いけれど大変お世話になりました。このお接待に報いるために何が出来るか。私もやがてもてなす側で少しでも役に立ちたいと思う。

                 (完)