HENRO TRAILを歩いた ⑧

 3日目、大洲から薪谷商店街・内子の街を抜け、小田の堂山太師堂に泊。

 4日目、農祖峠遍路道を進んで44番大寶寺へ。山越えし今夜の宿「癒やしの宿八丁坂」へ。

 5日目「癒やしの宿八丁坂」に連泊して岩屋寺往復。この日がこの旅初めての二食付宿泊となった。昨日までとうってかわって豪華な食事にお酒付き!

大洲の街を過ぎるとやがて薪谷商店街へ。 

 

 大洲から久万高原にある44番大寶寺へのルートは小田川に沿って遡る農祖峠遍路道と、鴇田峠遍路道の2つ。前者は標高790mの鴇田峠を越える厳しそうな道のり。後者は標高651mの農祖峠を越えるコースだから、選んだのは当然後者。

 小田から国道380号を進み真弓峠に近づくと、道は大きくヘアピンを描いて高度を稼ぐが、遍路道は急坂の山道でショートカット。その途中の墓所では、近所に住むと思われるご老人が朗々と般若心経を唱えておられた。毎朝のお勤めなのだろうか。さすが四国。

 残念ながら真弓峠を越えるルートは、ガイド本「四国遍路ひとり歩き同行二人」にも載らず、道ばたの道標にもないから諦めて真弓トンネルへ。

 その先の農祖峠への登りは古い遍路道が余り残っていないようで、山仕事のための林道となる。ただ峠を越えれば古い遍路道らしい。通る人も少ない遍路道をボランティアの皆さんが整備されているようで、ここでも感謝、感謝です。

    

   

 岩屋寺への往路は難所と言われる八丁坂、帰路は川沿いのルートを使った。八丁坂の道は言われるようにへばりつくような急坂難路ではなく、良く整備された気持ちのいい遍路道となっていた。坂を登り切るとかつて茶屋のあった鞍部に出る。ここからアップダウンの少ない尾根道を岩屋寺に向けて下っていく。

    

  

  

 44番札所岩屋寺は険しい岩山の中腹にある。絶壁を背にした堂宇は岩壁のわずかな岩の窪みに押し込めるように建てられていた。

      

    

     

 岩屋寺ではちょうどうどんのお接待が行われていた。有り難く頂戴したのだが、この日は日曜日。多くの参詣者で賑わっていた。寺は麓の車道からの高度が150m近くある岩山の中腹にあるから、大量の麺と出汁をどうやって担ぎ上げたのか。いずれにしてもごちそうさまでした。

           

 

 6日目、癒やしの宿八丁坂から「千本峠」「三坂峠」を越えて松山へ向けて下り、45番浄瑠璃寺・46番八坂寺に参拝。八坂寺の通夜堂に泊めていただいた。その上ご住職から茶菓のお接待まで頂戴して驚き、恐縮。お世話になりました。

 千本峠を越えて三坂峠にさしかかる辺りに、「お接待サロン カヨちゃん家」があって、ここでも茶菓のお接待を受けた。カヨちゃんはお接待処を開くため77才にしてこの地に移り住み、ご主人と共に遍路さんのお接待、さらに遍路道の整備など多彩に活動されているそうだ。ありがとうございました。

 

       

 三坂峠は標高720m。松山と高知を結んだ土佐街道の難所だ。峠から下る道は通る人も少なく雑草に覆われているが、急傾斜の道にならないようジグザグを繰り返しながら下るしっかりした道だ。峠道を下りきったあたり、旧遍路宿「坂本屋」がある。現在は接待所としてお遍路をもてなしているそうだ。

      

      

 峠道を下って松山の平野に入ったところ、遍路道脇に城跡を発見。

 城の名は荏原城。説明板によれば戦国期伊予の豪族河野氏に従った平岡氏の居城だという。幅20mもの水堀に囲まれた敷地は一辺100mを越え、周囲を高さ5mもの土塁が囲む。私の住む広島県内でこんな城見た記憶がない。

     

     

遍路道の脇に小学生の書いた小さな札がぶらさがっていた。元気出るー