10月22日、立江寺を出れば四国遍路の難所「遍路転がし」の二つめ、「お鶴」(20番札所鶴林寺)への登りが待っている。寺は標高490mの山にあるから、燒山寺に次ぐ難所に違いない。
それに鶴林寺から下った南麓に宿泊施設が無く、歩き遍路の人は近くの宿に迎えに来てもらうらしい。中には三つめの難所「太龍」(21番札所太龍寺)もその日のうちに駆け抜けてしまう、という猛者もいるそうだ。
その点私はテント持参だから心配無用。この日泊まる予定の大井小学校は鶴林寺南麓の大井にある。現在通学する児童・職員ともにゼロなのだが廃校ではない、というのは地元の人の学校に寄せる思いの強さ。確かに国土地理院の地形図にも 文 の記号がちゃんと載っている(下図)。
ちょうどこの日は徳島・高知選挙区の参議院議員補欠選挙の日で、大井小学校が投票所となっていた。投票所の人の話によると、立候補した二人はいずれも高知の人だから、徳島県側の人の関心が低く、低投票率に終わりそうだとこぼしていた。ちなみに当選は野党系無所属候補だったそうだ。
23日、三つめの難所「太龍」へ。
大井から鮎喰川を渡り、長い太龍寺への登り道に向かっていると、自転車に乗った男子中学生が「おはようございますっ」
元気な挨拶をして追い越していった。たった一人で向かったのはまるで人気の無い谷閒の道。さてどこまで通学しているのやら。
太龍寺からは「平等寺遍路道」(いわや道)を下って22番札所平等寺に参拝。
この日も宿を押さえるのに苦労したあげく、やっと確保できたのが、平等寺の近くにある「民泊 パンダ屋」だった。
歩き遍路は余り多くないのだが、札所や宿ではお遍路さんでごった返しているから、車でまわるお遍路さんが増えているようだ。その後も高知県にかけて宿が取りにくい状況が続いた。
パンダ屋の食卓を囲んだ宿泊者は8人、その半数がまたまた外国人。
食事の時間、宿の主人はテーブルの脇に立って英語で外国人遍路に語りかけ、なごやかな食卓をつくりだしていた。
ふと見ると主人の手のひらにはマジックで書いた文字が見える。不審に思って尋ねると、食卓を囲む宿泊者の名だという。
理由は「毎晩人が変わって名前が覚えきれないから」
そういえば、食卓に着くとき席が指定されていた。そしてこれを見ながら客の名を呼んで会話していたのだ。何という心配り。
(続く)