城平山城   広島県東広島市西条町福本

標高230m 比髙25m

主な遺構:土塁・堀切・横堀・竪堀

アクセス

 東広島の中心街から呉方面に向け国道375号を南下し、大沢交差点を左折。そこから東へ1kmほど進んで山陽新幹線の高架下をくぐる。城跡はこの高架下から南に見える丘陵上にある。丘の東側に回り込んで登る。

      

 

 城平山城山陽新幹線のすぐ南、高架の線路を正面にみる低丘陵上にある。線路に面した北斜面だけが切り立った急斜面であって、西は浅い鞍部を挟んで同高度の丘陵、南にはなだらかな斜面がひろがる。この緩斜面に備えて横堀と土塁を巡らした城だ。

 主郭は東西約60m、不等辺五角形を呈する。西側には小郭が付属するが、単郭のプランと見てよかろう。主郭南辺の横堀は深さ2~3m、延長80mに及ぶもの。横堀外壁側は単に削り残しただけのものでなく、土塁として整形したものかもしれない。不明瞭だが二重堀となっている所も見える。

 横堀東端は竪堀となって東斜面を下る。隣接して1基の竪堀、さらに北斜面側にも3基の竪堀が確認出来る。

 土塁で固めた主郭南辺には2カ所の入口がある。東よりのものは進入路西側の塁線を突出させて側面攻撃可能な構造となるから本来の虎口、西よりのものは後世の破壊によるもののようだ。

 ほかに主郭西端、堀切脇に開かれた虎口もある。北麓からの道がこの堀切を経て主郭を囲む横堀につながるから、この横堀は通路としても利用されていたことになる。

 

 城平山城は「東広島市の城館跡4」で紹介された城で、江戸期の地誌『芸藩通志』には載らない。ごく限られた地元で城の存在が語り継がれてきた城らしく、城主などの伝承も無いという。横堀や土塁を巡らして軍事面を重視したプランとなっていることから、一時的な軍事拠点としての城のように思われる。 

平山城全景(新幹線高架橋の後ろの丘)

主郭南側を巡る横堀

参考文献

 「東広島市の城館跡4」(東広島郷土史研究会ニュース 79号) 1981年

 飯田米秋『賀茂郡史ー中世武士編ー』 東広島ジャーナル 1984年