新城山城  広島市安佐北区可部町桐原

別名 桐原とげ

標高130m 比髙30m

主な遺構:土塁・石垣・堀切・畝状竪堀群

アクセス

 新城山城は高松山城の北東側、桐原川の谷沿いにある。可部市街から根の谷川沿いの国道183号を北上。三入橋西詰交差点で右折し、根谷川を渡る。狭い道を右手の山すそに沿って進むと道沿いに桐原第一公園がある。公園のすぐ南の丘が新城山城だ。

        

      

 城は戦国時代熊谷氏の本拠であった高松山城の東側山裾にある。高松山城につながる尾根の先端、桐原川を見下ろす比高30mの小ピークに築かれた城で、小さいながら髙松城と同様、発達した堀切・竪堀群を備えた城となっている。

 丘頂部は北半分だけが整地されているものの、南半分は未加工のままで土塁などに仕立てようとした痕跡も無い。従って丘頂の1郭は見張り台あるいは櫓台のような位置づけとなりそうで、中核をなす曲輪は東斜面に並ぶ2郭・3郭と思われる。2郭の西側山腹は三基の竪堀群、3郭は南端の削り出しの土塁とその南下方の竪堀群で厳重に防御されている。

 当城の見所は1郭の背後に刻まれた三重堀切と竪堀群だ。堀切のうち内側の2基は城の西側から南側にかけて伸び、両端は竪堀となって斜面を下る。南側ではこれに3基の竪堀が並べ築かれているから、ここでは合計5基の竪堀が並ぶ姿となる。

 堀切の西側には削平地 a が存在するが、城の一部として造成されたものかどうか不明。

 

 城主は髙松山城に拠った熊谷氏一族の桐原氏とされる。熊谷氏系図では祐直の欄に「三郎入道祐直新城始」とある。しかし祐直は鎌倉末期頃の人物だから、祐直が築いたとするには疑問が残る。

1郭背後の堀切

西斜面は土砂採取によって山裾がえぐられている。

 

参考文献

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会 1973年

 広島市編『可部町史』  1976年

 岡部忠夫『萩藩諸家系譜』琵琶書房 1983年