宮迫城 広島県三原市大和町上徳良・下徳良

標高410m 比髙60m  

主な遺構:土塁・横堀・畝状竪堀群・井戸

アクセス 

 三原市役所大和支所のある下徳良から県道154号を東へ約1km、下郷で県道の北に並行する旧道に入り、下郷生活改善センター前で左折し北上。案内図に示した登り口のところから右手に向け未舗装の山道が伸びている。これを峠越えのところまで進めば、城跡は右手丘頂部にある。

        

    

 宮迫城は前回のブログで取り上げた相良城の東方1kmの丘陵上にある(案内図参照)。城は比高60mほどの低丘陵に過ぎないが、徳良川の川筋に視界が広がり、相良城や門出山城など徳良川を囲む丘陵に載る城が一望できる。

 主郭は上下二段に分かれ、下段は井戸を備えた土塁囲みの曲輪となる。注目は主郭の周囲を巡る横堀だ。平地の城郭なら曲輪を囲む堀は不可欠の要素だが、広島県下の山城で主郭全周を横堀が巡る城は非常に珍しい例といえる。

 もう一つ興味深いのは主郭を囲む横堀対岸の小郭で、主郭下段からの通路が横堀に架かる土橋を渡った所にある。小郭の周囲に横堀を伴わないから完全なものとは言えないが、馬出を思わせる姿となっている。

 不明瞭でかすかな痕跡だが、主郭を囲む横堀から派生する竪堀群が3群に分かれて合計10基、下方斜面に下ろされている。主郭の規模が上下段合わせても長辺25m短辺20mというコンパクトな城だが、発達した縄張りを見せる城だ。

 

 城の主は長崎団右衞門・永井右衞門大夫元則・相良右衞門大夫など、様々な名前が伝えられているのだが、詳細は分からない。

 この中で注目されるのは永井右衞門大夫元則。相良城主として名前の挙がっていた「長右衞門大夫元則」との違いは姓だけ(「永井」と「長」)だから、両城の主は同じ人物だったのかもしれない。そうだとすれば、相良城は徳良市を掌握するため、宮迫城主の設置した出城だという相良城の説明板に説得力が増すことになる。

宮迫城全景(南麓から撮影)

参考文献

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会 1973年

 『西備名区』(『備後叢書』東洋書院 1990年)

 米田米秋『賀茂郡史ー中世武士編ー』 1984