桜山城  広島県三原市桜山町

標高180m 比髙170m 

主な遺構:石垣・井戸・土塁・堀切・畝状竪堀群

アクセス

 JR三原駅の北側、広島大学付属三原小学校の裏手に登り口がある。 よく整備された山道が延びている。

        

    

 三原湾に面した海城三原城を直下に見下ろす標高180mの山頂に桜山城がある。

 山頂部の主郭(1)は南北110m最大幅18mという長大な曲輪で、全体を土塁で囲み、これを仕切り土塁によって分割している。

 この城の注目点は防御上の要所を占める曲輪が土塁囲みとなっていることだ。背後の尾根続きを見下ろす2郭、瀬戸内海を眼下に見渡す南尾根の3郭、西尾根の4郭、東斜面に備えた5郭がそれである。また、2郭を囲む土塁の内壁が石垣造りとなっているのをはじめ、各所に石垣が築かれている。

 北側尾根続きは岩を穿って築いた3本の堀切で遮断し、東斜面側には畝状竪堀群を配置する。背後の丘陵からの尾根伝いの道がこの堀切を過ぎると山腹斜面の道に変わる。

 西側山腹に伸びる道は西尾根を回り込んだところで横堀に、かつ袋小路の道となる。敵兵が堀切を突破して攻め込んだとしても、4郭をはじめとする尾根筋の曲輪から攻撃を受け続けることになるはずだ。土塁囲みの曲輪と併せ、防御の工夫が凝らされた構成となっている。東斜面側の通路でも畝状竪堀群下で同様に袋小路・横堀の道となる。

 

 南麓の三原城は、小早川氏が本拠としていた新高山城から海への出口として築かれた三原要害が前身で、天文22(1553)にはここに番衆が配置されている(『萩藩閥閲録』巻41)。永禄10年(1567)には大島・小島をつないだ埋め立て地に三原城の築城が始められている。

 桜山城と三原要害・三原城は、その位置関係から見て深い関連を持っていたものと思われる。

南麓から見上げた桜山城(手前は広大附属三原中学校)

主郭

参考文献

小都 隆『中世城館跡の考古学的研究』 渓水社 2005年

三原市教育委員会『史跡小早川氏城跡(三原城跡)』 2017年

三原市ホームページより「三原城跡」