別名:鯰城・江見城・鳥坂山城
標高205m 比髙70m
主な遺構:土塁・櫓台・石垣・横堀・井戸
アクセス
美作市江見から吉野川沿いの県道5号を北へ2kmほど進むと鯰集落に入る。集落の南側、標高205mの丘陵上に城跡がある。北麓から山道が延びているが、かなり荒れている。
広島県を中心に城跡を歩いてきたが、岡山県東部の美作までやってくると驚くような城に出会うことが多い。この鳥越山城では、丘頂の曲輪が人の背丈ほどの立派な土塁に囲まれていて、感激もひとしおといったところ。
城は大きく湾曲して流れる吉野川に三方を囲まれた丘陵に載る。北麓には鯰集落を見下ろし、南には出雲往来の通る江見方面が視界に入る。
主郭は地形の影響を受けて西辺が入隅となるが、一辺45mほどの規模であり、『東作誌』の記載する本丸の規模「二十五間四方」とピタリ一致する。四周に築かれた土塁は内側で高さ1~1.5m、一部に石垣も見られる。土塁外壁は高さ5~7mの急峻な切岸で防御される。
さらに、丘頂から四方に伸びる尾根は全て掘り切って周囲の丘陵と遮断しているから、平地に営まれた土塁・横堀囲みの方形居館がそのまま丘頂に引っ越したような姿の城となっており、館城といえる。
虎口は東西両側に開く。東側虎口では、空堀に架かる土橋を渡った道が一度折り返して主郭に導かれる。虎口両脇の土塁は幅を広げて櫓台とし、虎口を固めている。
この虎口下にある井戸は「東作誌」に「東の方城下、小谷頭に指亘し二間の井あり」と記す井戸のようだ。
西側虎口は空堀に架かる土橋を渡って主郭に入る形で、ここには主郭入隅部分から横矢が掛かる。主郭北辺の土塁の切れ目に入ってくる道もあるが、これは後世の破壊道のようだ。また『東作誌』に「本丸の内指亘し一間の井あり」と、主郭内にも井戸の存在を記すが、確認出来ていない。
主郭西方には尾根の脇ををわずかに削平した小平地 ( a )が見られる。規模は東西30m南北10mほどだから、東作誌の「本丸西の方櫓台跡あり、東西15間南北6間」にあたるものかもしれないのだが、a の周囲に切岸・堀切と言った防御施設が確認できず、城郭の一部とみるには疑問が残る。
城主は播磨国赤松氏一門の江見氏で、代々鳥越山城に居城したという。
参考文献
寺坂五夫『美作古城史』 作陽新報社 1977年
正木輝雄 『新訂作陽誌』 作陽新報社 1975年