後藤蔵人大夫土居屋敷   広島県三原市大和町萩原 

別称 戸登津山城  

標高420m 比髙30m  

主な遺構:土塁・竪堀

アクセス

 三原市役所大和支所のある大和町下徳良から国道432号を北上。緩やかな峠を越えて萩原に入れば、北側山麓にある教専寺を目指せばいい。

       

  

 土居屋敷跡ということで出掛けたのだが、肝心の屋敷地らしきものが見当たらない。周辺を歩き回って作成したのが上図。高さ3mを越える土塁が低丘陵を東西に横切り、西端部は竪堀となって斜面を下る。土塁の背後は自然の鞍部のようで、空堀として整形したものではないらしい。東方にはL字に折れた土塁状の地形も見られる。

 これが山裾の微高地に営まれた土居屋敷の背後を固める土塁・空堀なのかもしれないのだが、土塁の南側には自然の斜面が広がり、山裾に土居屋敷を思わせる所は確認出来ない。

 以前、当ブログで取り上げた岡山県奈義町の有元城と同様のケースだ。

 

kohanatoharu.hatenablog.com

 

 『大和町誌』には「戸登津山城」の名で載る。所在地は前津宗氏宅付近並びに後ろの山で、山中に空堀跡が残るとし、萩原の豪族後藤蔵人大夫の居館、居城とも伝えられる、とある。

 居館背後から側面にかけて土塁・空堀が囲むタイプではなく、山裾の居館から30m近くも高い位置に一文字状の土塁を築いたということであれば、土塁は防御のためというより、ステータスシンボルなのか。

 

参考文献

 文化庁文化財保護部『全国遺跡地図』34 広島県 1982年

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会   1973年

 大和町誌編纂委員会 『大和町誌』 1983年