標高420m 比髙20m
主な遺構:土塁・井戸・石積み・竪堀・横堀
アクセス
三原市役所大和支所のある大和町下徳良から国道432号を北上。緩やかな峠を越えたところで左折し、県道45号に入る。1kmほど進んだ所のT字路を右折し、道なりに進んだら、北方の山裾から盆地に突き出した低い丘がみえる。これが稲次城だ。
稲次山城のある大和町萩原は福山市に河口をもつ芦田川の源流部に位置するのだが、それにしてはかなり開けた盆地となっている。盆地内は上の案内図に見えるだけでも5カ所もの小規模な山城や土居屋敷が数百㍍の間隔で密集する不思議な場所となっている。
丘頂の1郭は北辺から西辺にかけて土塁が囲むが、南寄りは散在する巨石に遮られて未整形となっている。1郭から南へ2・3郭が階段状に並ぶ。3郭は全周土塁囲みの曲輪で、所々に石積みがあり、3郭北側に付属する小郭には井戸跡も残る。1郭東下方には小規模な腰曲輪があり、主郭北辺の土塁と同様、背後の丘陵に備えたものと思われる土塁が見られる。
丘陵の中腹には部分的に横堀が巡る。1郭北側から東斜面に掛けて延びるものと、3郭南下方に認められるが、後世の土地利用の影響を受けて不明瞭となっている。
稲次山城について、江戸期の地誌『芸藩通志』は城名以外何一つ伝えていない。城跡の南わずか400㍍の丘陵上には門出山城(図1)があって、同書は「萩原百出所居」と地名を名乗る武士の居城と伝えるが、詳細は分からない。城は稲次山城を眼下に見下ろす位置にあるから、両者の関係も気になるところだ。居館・詰城の関係だったのだろうか。
参考文献