堀井城  広島県庄原市宮内町

標高270m、比髙15m

主な遺構:土塁・空堀

アクセス 

 庄原市街から西城方面に向けて国道183号を東へ進むと「国道183高道路」の指示板が現れる。この指示板のある交差点を左折し、道なりに進んで行くと道路脇に「堀井城跡」の指示板が設置されている。

        

      

 堀井城の名で呼ばれるが、『芸藩通志』には「堀井次郎右衞門宅址 宮内村にあり、壕塹の跡をも遺せり」と、居館跡として取り上げている。館の主とされる堀井氏について詳細は不明。一方「近郷古事漫録」(『庄原市史』所収)では宮内村の「土居城」に宮内土佐守正長が居たことを記すが、これも詳細はわからない。

 居館は西城川の小支流宮内川に面した低丘陵の裾に斬り込んで築かれたもの。規模は長辺80m短辺70m程度。自然地形に規制されて歪んでいるが、方形居館と言える。

 居館の前面は高さ10m余りの崖となって宮内川に落ち込む。南側には小さな谷が刻まれており、西側背後の丘陵に面しては土塁・空堀を構える。背後の土塁は居館側からみて3m前後の高さ、堀底からは最大4mほど。空堀は居館の背後から北側にかけて延びており、幅10mほどのしっかりしたものだ。

 現在、居館跡は林ないし原野となるが、近年まで耕地化されており、背後の堀跡では階段状に区切られて水田となっていた。『宮内の遺跡』によれば、屋敷跡には泉水跡らしい窪み、北側には門跡があったという。館跡の入口は現在南側の谷に面した土塁脇にあるが、耕地化に伴って取り付けられたもののようだ。

 

宮内川対岸から撮影した堀井城。右寄りに土塁が見える

土塁上から居館跡を見下ろす

居館背後を巡る空堀

堀底は階段状に区切られ、水田として利用されていた

参考文献

 芸備郷土史刊行会『芸藩通志』 1973年 

 庄原市史編纂委員会『庄原市史』   1980年

 宮内の史蹟作成委員会『宮内の史蹟』 2009年