寺家城 広島県東広島市西条町寺家

別称 寺家館・寺家土居屋敷

標高242m 比髙15m

主な遺構:土塁・横堀 

アクセス

 東広島市の国道2号西条バイパスを福山方面に向けて東へ進む。八本松トンネルを抜けて約2km、バイパス北側を走る側道脇に「寺家城跡」の小さな看板が設置されている。看板の前を過ぎ、バイパスを下りると前谷交差点がある。ここから引き返すのだが、2号線北側の側道は東向き一方通行だからいったん南側の側道を経由することになる。

     f:id:kohanatoharu:20210930205122p:plain

   f:id:kohanatoharu:20210930204800p:plain

 寺家城は西条盆地の西寄り、低丘陵と谷間の水田が入り交じる中にある。規模は南北72m東西48m。四方土塁囲みの方形居館跡である。

 土塁は背後の丘陵に面した北辺が最も高く約2m、土塁外壁面は4m余りの高さを有する。西辺を除き、土塁外壁下には空堀が巡る。南辺中央にある土塁切れ目が虎口で、いわゆる平入り虎口。北東隅にも入口があるが後世の作業道のようだ。

 東広島市寺家地区には本城以外にさらに6カ所の居館跡が存在し、「あたかも小字名ごとに分布するような密な状態」(『ひがしひろしま郷土史研究会ニュース』82)にある。このうち丘の上に構えた居館跡は寺家城が唯一のものであり、そのほかの居館跡は丘陵裾や水田に囲まれた微高地に立地しており、比髙は5mに満たない

 寺家城の主は阿曽沼氏家臣の原田氏と伝える。大永3年(1523)段階で寺家村は300貫の在所でそのうち35貫が阿曽沼氏の知行地、それ以外は「諸給人知行」(平賀家文書)であって、『寺家城遺跡・近信遺跡』はこの地域に大きな国人領主は存在しなかったことが、寺家城など中小規模の城館跡が散在することと対応していると推定している。

f:id:kohanatoharu:20210930203411j:plain

寺家城全景。左は国道2号西条バイパス

f:id:kohanatoharu:20210930203729j:plain

寺家城全景。西側から撮影

f:id:kohanatoharu:20210930203828j:plain

西辺の土塁

f:id:kohanatoharu:20210930205838j:plain


参考文献

 松村昌彦「市内の中世遺跡」『ひがしひろしま郷土史研究会ニュース』82 1982年

 広島県埋蔵文化財調査センター『寺家城遺跡・近信遺跡』1993年 

 飯田米秋『賀茂郡史』中世武士編  東広島ジャーナル 1984年