伊達弾正館 岡山県加賀郡吉備中央町北城山

別名:野山古城、府元山城、奥樋城

標高360m 比髙15m 

主な遺構:土塁

アクセス

 高梁から国道484号を東へ、吉備中央町方面へ向かう。道の駅かようの前を過ぎると県道57号の分岐する十字路に出る。ここで右折し、県道を南下すると日蓮宗の古刹妙本寺がある。寺の南に見える低い丘が伊達弾正館跡だ。丘の南側に説明板がある。

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 伊達弾正館は、弘安4(1281)年鎌倉武士であった伊達弾正朝義が北条幕府の命によって野山荘の地頭として赴任し、ここに居館を構えたことに始まるという。浅い谷を挟んで向かい合う妙本寺は「西身延」と称される日蓮宗の古刹で、朝義の創立。伊達氏はやがて在地名によって野山氏を名乗り、戦国時代に入ると1kmほど北の野山城に移ったという。

 城の遺構は、中央部の土塁(1郭からは1.5m、2郭からは3mの高さ)によって仕切られた2つの曲輪と、付属する小郭からなる。各曲輪の周囲は高く急角度に仕立てられているから、比高15mほどの小丘に乗る城ではあるが、なかなかの堅城に見える。

 1郭の規模は70m×40m、2郭は70m×35mとほぼ同規模だが、1郭の方が1.5mほど高く、2郭境の土塁に入った折をはじめ合計四カ所の折を備えるなど、工夫を凝らした縄張りを見せることから主郭、北郭を副郭と考えたい。

 1・2郭を囲む土塁は所々欠けてはいるものの、土塁は高いところで2m余、低ければ数十cm。耕地化に伴う破壊を受けたものと思われるが、その保存状態はかなり良い。4・5の腰曲輪は北斜面に備えた防御拠点だが、この両郭の側面にも上方の曲輪から下ってくる斜面を削り残してしつらえた土塁が見られるなど、発達した土塁に守られた城となっている。

 東南麓の民家脇からの道が取り付く3郭が虎口部をなすものと思われ、ここには何らかの虎口施設が設けられていた可能性がある。よく見ると登城路を見下ろす1郭の南東隅付近には2カ所に浅い折が入っており、虎口防御の工夫と見られる。西麓から2郭に入る部分は単純な坂虎口だが、虎口面は土塁で固めている。

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1郭南辺の土塁

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1郭。奥に土塁が見える

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妙本寺山門

参考文献

 吉備郡教育会『吉備郡史』   1937年

 賀陽町教育委員会『賀陽町史』 1972年

 文化庁文化財保護部『全国遺跡地図」岡山県 1985年