別名 福原城
標高310m 比高100m
主な遺構 土塁・堀切・竪堀・井戸
アクセス
安芸高田市の中心市街から国道54号を広島市方面へ、約3km進むと可愛橋北詰交差点があって、交差点には「県史跡 鈴尾城跡」の看板がある。ここを左折して江の川を渡れば、南方に見える丘に鈴尾城がある。北麓からよく整備された道が延びている。
鈴尾城は平地に突き出した半島状の尾根に載るから、北東側に毛利氏の本拠である郡山城が見えるのをはじめ、江の川を囲む丘陵上に築かれた毛利家臣の城がいくつも視界に入る。
城主福原氏は康暦3年(1381)毛利元春の5男広世が福原村を譲られてこの地に移り住んだことに始まる。
丘頂部では北西ー南東に伸びる主尾根上に曲輪が連なる。南東側が背後の丘陵に繋がる尾根で、これを遮断する堀切は1基だけ。しかも離れた位置に刻まれたものだ。丘頂の1郭から北東に派生する尾根にも4段の腰曲輪が並ぶ。
この北東尾根の先には小ピークがあって、4郭以下の小郭群がみられる。小郭群の背後は堀切・竪堀群・土塁で防御を固めているから、独立性の高い出城のような部分といえる。その東側山腹には「居館跡」と伝える5郭があり、この小郭群は5郭の背後を固めるものといえる。
居住区と思えるところはもう一つ。北斜面の3郭がそれで、規模は東西50m南北20m、城内最大の曲輪だ。3郭の背後から両側面にかけて浅い堀が巡る。削り残された部分を土塁と見れば、この曲輪は山裾緩斜面に斬り込んで造営された土居屋敷と瓜二つだ。その上、3郭東方の浅い谷閒には石組みの井戸(下写真)もある。ここが居住スペースであった可能性はあるだろう。
3郭の背後を守るのが1郭をはじめとする丘頂曲輪群だとすれば、北東尾根小郭群と5郭(「居館跡」)と合わせて、二つの城が同居しているように見える。このことは、福原城がある時期東尾根小郭群から丘頂へと拡張されたことを示しているのかもしれない。
城の東方300mには福原氏の菩提寺楞巌寺跡があり、ここに福原氏墓所がある。
参考文献
岡部忠夫『萩藩諸家系譜』琵琶書房 1983年
西本省三編「日本城郭大系』13広島・岡山 新人物往来社1980年