胡ヶ丸城  広島県竹原市田万里町

標高350m 比高250m

主な遺構 堀切・横堀・畝状竪堀群

アクセス

国道2号を東広島から福山方面に向け東へ。竹原市の田万里郵便局脇から県道351号が分岐する。これを1kmほど進むと鋳師原集落に入る。その東方に見上げる山に胡ヶ丸城がある。

                     

                 

 

 胡ヶ城は竹原小早川氏の本拠木村城から田万里川にそって遡ること5km、田万里川の谷筋を見渡す丘陵上に築かれている。

 城の背後には東広島市境をなす主稜線が東西に延びる。主稜線の標高は当城とほとんど同じ高さだから、城の北側、東広島市河内町方面の視界は遮られる。従って当城は山陽道の抜ける田万里の谷筋を押さえる城と見られる。

 田万里は小早川氏の一族小田氏の所領であったが、応仁の乱以降髙屋(東広島市高屋町)の平賀氏に侵略され、以来両者の係争地となった。その後16世紀初頭には平賀氏が支配を固めたようだ。『芸藩通志』は城主を吉備津内膳と伝えるが詳細は不明。

 

 丘頂の主郭は小さな段差で2段にわかれるが、全体として東西15m南北13mほどの三角形。主郭東下方に帯曲輪が付属する。

 丘頂から三方に延びる尾根のうち、西および東南尾根はそれぞれ三重堀切で厳重に遮断するのに対し、背後の主稜線につながる北尾根は最も厳重に防御を固めるはずの場所だが、何故か堀切は確認出来ない。

 東南尾根の三重堀切に隣接して帯曲輪下に5基からなる畝状竪堀群が並ぶ。この竪堀群は帯曲輪下の横堀から発生していて土塁状を呈するものだ。

 ごく小さな砦に過ぎないのだが、厳重に防御を固めた城となっている。

 

参考文献

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会 1973年

 米田米秋『賀茂郡史ー中世武士編ー』 1984