曲山城  広島県広島市安佐北区安佐町鈴張 

標高270m、比髙60m

主な遺構:土塁

アクセス

 国道261号を北広島に向けて進み、鈴張で左折して県道40号を豊平方面へ向かう。約1km進んだあたり、左手丘陵上に送電線の鉄塔が二つ並ぶのが見える。その左側鉄塔一帯に遺構が広がる。城の北側鞍部を越える林道が延びているからその鉄塔目指して進めばいい。

      

 

 曲山城は安佐北区安佐町鈴張で国道261号から分かれ、豊平方面に向かう谷筋の道を見下ろす尾根の先端に位置する。面白いことに、この一帯わずか2km四方ほどの範囲に6カ所もの城がひしめいている(案内図参照)。

 このうち、曲山城だけが南北170m東西60mと別格の規模を持つ城で、その他は単郭ないし数郭程度の小規模城。5城のうち東殿山城はかつて当ブログで紹介している。

kohanatoharu.hatenablog.com

 

 狭い谷間の地に多くの城が集中することについて、『恵下城跡発掘調査概報』は、鈴張川沿いのルートは中世においても旧千代田・豊平方面への通路であって、交通・軍事上の要衝であったためとしている。 

   

 

 曲山城は江戸末期の地誌『芸藩通志』の城墟欄にその名が記載されており、城跡と伝えられてきたことは確かなのだが、いざ現地に立ってみると、腑に落ちないものを感じる奇妙な遺跡となっていた。

 尾根筋に沿って連なる土塁囲みの曲輪(?)は、削平不十分で南に向けて緩やかに傾斜しており、形も自然地形に制約されて不規則に歪む。曲輪の縁に沿ってのたうつように伸びる土塁も異様だし、土塁外壁面には未加工の緩斜面を残すところが多い。

 その中で多少城跡らしいと思えたのは中央部の土壇(図中 a )で、櫓台といったところか。尾根端のピークに築かれた城であれば、背後につながる尾根を堀切で遮断し、堀切面に土塁を築くのが普通だ。当城の場合、北側には自然地形の小山( b )がひかえており、ここからは城の全域が見渡せるのだが、小山の背後を遮断する堀切も確認できない。

 従って城の背後に対する備えは皆無と言っていい。これが果たして城跡なのか? 疑問の残る遺跡となっている。

土塁(左端)と曲輪

参考文献

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会 1973年

 広島県教育委員会『恵下城跡発掘調査概報』 1978年