小丸山城  広島県庄原市東城町帝釈未渡

 

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 由来のまるでわからない城を紹介する。場所は五輪塔の石材として使われていた結晶質石灰岩、いわゆる「小米こごめ石」の産地として知られた帝釈未渡。帝釈峡の入り口永明寺にほど近い場所だ。

 地元では「城山」と呼ばれる。江戸末期の国郡志書出帳(未渡村)に「小き丸山有之、城山と唱候得共、城主年暦など相知不申」とある。確かに未渡集落からはお椀を伏せたような形に見える。城名は記載されるように山の姿に由来するのかもしれない。 

 小丸山城は未渡集落の西方、未渡川の谷を見下ろす標高557mの丘に築かれている。城のある未渡は標高500m前後の高原上に広がる集落だから、比髙は80mに過ぎない。

 上の縄張図を見ればしっかりした遺構を持つ城のように見えるが、曲輪の削平状態が悪いだけでなく切岸の造成も不十分だから、現地をぼんやり歩いていたら見過ごしてしまいそうな不明瞭な遺構だ。丘頂の主郭は10m四方ほどの曲輪だが、よく見ると古墳の墳丘を破壊して造成された曲輪で、一部が崩れて薄暗い石室がぽっかりと口を開けている。ここから南西および南東に延びる尾根筋にそれぞれ階段状に曲輪を設けていて、その両側面に延びる帯曲輪が各曲輪を結ぶ通路を兼ねる。

 城の背後に当たる主郭北側の堀切面をはじめとして土塁は皆無であり、曲輪の普請も不十分だ。要するに安普請の城ということなのだが、一方で、尾根を遮断する堀切とこれを延長した竪堀は非常によく発達している。主郭背後には二重堀切を刻み、b・c・dのような山腹のわずかな膨らみに過ぎない部分にも堀切を設けるなど、発生する尾根を根こそぎ遮断するという徹底ぶりだ。このような特徴から継続的に使用された城ではなく、臨時的な軍事拠点としての城のように思える。

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南側から主郭を見上げる。

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主郭脇にのぞく古墳の石室

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東南尾根の曲輪

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参考文献

 東城町史編纂委員会 『東城町史』自然環境・考古・民俗資料編  1996年

 広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』