十力城 岡山県加賀郡吉備中央町高谷 

標高340m 比髙170m  

主な遺構:土塁・堀切・竪堀

アクセス

 加茂市場の総社宮前から南東へ、吉備高原上の高谷を目指す。坂道を上りきったところから東に進めば長丸集落に入る。城址は長丸集落から東へ延びる尾根上にある。

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 『全国遺跡地図』岡山県で十力城の位置を長丸集落の北標高401mの山頂とするが、ここに遺構は確認出来ない。この山頂から東に派生する尾根が約500mにわたって水平に伸びており、その中ほどにあるわずかな高まりに十力城が築かれている。

 尾根の北斜面は宍甘川に落ち込む絶壁で高さは170mに達する。また南側にも深く切れ込んだ谷が入っているから、長丸集落から眺める城跡は集落と同高度に伸びる緩やかな尾根にあるのだが、思いのほか厳しい要害となっている。従って城への通路は長丸集落からの尾根伝いのルートだけだ。この尾根の付け根は「城の峠じょうのたお」と呼ばれ、城内には武士の守り神として信仰を集めた摩利支天の小祠が鎮座する。

 城の規模は東西80mほど。西端に1条の堀切を刻んで大きく南北両斜面に伸ばし、この内側に隣接して両斜面それぞれ各1条の竪堀を設けて尾根基部側への備えとしている。一方、尾根端側に堀切は無く、3mほどの高さの切岸があるだけだ。さらに尾根先端にかけてさらに平坦な尾根が200mほど延びるが、未加工のまま放置されている。

 城の東寄りにある小振りな1郭が主郭。西端の2郭はわずかな段差で3区画に分かれるが、全体として40×20mの規模。西側堀切面には土塁、南面に虎口を開く。2郭から東端の小郭まで幅2m前後の通路が延び、これから主郭への登り口がある。

 

 江戸期の地誌『東備郡村志』では、江戸期この地にあった大谷村に二つの城があるという。元兼にあるのは伊賀兵庫の城とするからこれが福山城。もう一つの城は所在地がはっきりしなかったようで、中村にあるのは伊賀伊勢守の城、一説に伊勢守の城は十力にあってその家臣が居城したとする。

 いずれにしても虎倉城を本拠とした伊賀氏の一族や家臣が守備した城らしく、本城の西方1kmにある福山城と共に北麓を流れる宍甘川の川筋を監視する役割をもっていたものと思われる。

 

参考文献

 文化庁文化財保護部『全国遺跡地図』岡山県  1985年

 加茂川町教育委員会『加茂川の山城』1979年