『芸藩通志』によれば、城の主は鷹司大膳とされるが詳細はわからない。単郭の城で別名菊花城。「菊花」の名は曲輪の周囲を空堀群が放射状に取り巻く姿によるもののようだ。城跡は現在公園化され良く手入れされているのだが、遺構の一部が破壊されているのが惜しまれる。
丘頂の主郭は四辺形をなす曲輪の北西隅に突起部が付属した形、といえばいいだろうか。曲輪中央には高さ1mほどの土壇があって模擬の櫓が建てられている。主郭の突起部に登ってくる道があるのだが、公園造成に伴って新設したものか、既存の道を拡幅したものなのかわからない。
主郭縁辺部は肩が流れて不明瞭だが、周囲の切岸は高さ5~6m。鋭く急傾斜に加工されたものだ。東から北斜面にかけて切岸下に横堀が巡り、これから派生する形で7基の畝状竪堀群が築かれている。竪堀群は切岸下に広がる緩斜面部分を潰すために築かれたものらしく、その長さは5m前後の短いものだ。南及び西側ではわずかな尾根地形を遮断する堀切各1基と、これに並べ築かれた竪堀数基が刻まれているのだが、不明瞭となっている。
高塚城全景。東側から撮影
参考文献
飯田米秋『賀茂郡史』中世武士編 東広島ジャーナル 1984年
豊田郡教育会 『豊田郡誌』 芸備郷土史刊行会 1978年