尼ヶ城(にがじょう) 岡山県美作市川上

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 美作市の東部、旧大原町の川上にあるとされる小淵城について現地の人に訊ねていたら、たまたま「あの丘にあるのが尼ヶ城(にがじょう)」と聞いて、早速『大原町史』地区誌編を調べてみた。すると「尼ヶ城(松山城) 霊山寺の奥、二重寺観音堂の参道にある」と記しているではないか。それにしても「にがじょう」とは何とも不思議な呼び名。

 城は二重寺への参道脇に築かれている。丘頂の曲輪は50m×20mほどの規模で、驚いた事に切岸下には横堀が巡る。よく見ると横堀の外壁側も整形されて土塁となっているようだ。ここから東に延びる尾根上にはわずかな普請の小郭が並び、二手に分かれた尾根先端部には堀切が各一条刻まれている。なお、この二重寺は『岡山県中世城館跡総合調査報告書』にのる仁寿寺(にじゅうじ)城と思われる。

 『英田郡史考』の尼ヶ城略図に描かれた曲輪は長辺30間短辺8.5間の隅丸長方形。西側は空堀・土塁に囲まれているから、現地で確認出来た遺構と同一のものといえそうだ。つまりこの城が「大野五ヵ城」の一つ松山城ということだ。

 大野五ヵ城とは法天山・駿論坊・小淵・寺坂・松山の各城で、康安元年(1361)これらの城に拠った土豪大野一族が山名時氏の軍によって攻め落とされたとされる。

参考文献

 岡山県文化財保護協会『岡山県中世城館跡総合調査報告書』第3冊美作編 2020年

 椎口松玲『英田郡史考』 1974年  作陽新報真庭本社

 寺坂五夫『美作古城史』 1977年 作陽新報社

 大原町史編纂委員会 『大原町史』地区誌編 20001年