今宮城 岡山県勝田郡奈義町滝本

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 津山市街の東方、自衛隊演習地のある日本原の奥には那岐山を主峰とする山々が東西に屏風のように連なる。その一峰、滝山から南へ長く伸びた尾根の先端が国道53号に届いた所に今宮城がある。

 1郭は全周土塁囲み、東西16m南北30mの長方形をなす。土塁の高さは外壁面で3~4m、内側でも1.5m前後の高さを有するものだ。南東隅には土塁切れ目があり、これが虎口にあたるのかもしれない。

 1郭の南北両側を遮断する堀切は西斜面の横堀につながっているから、三方を空堀で囲む姿となる。土塁のラインは直線的に整えられており、東西両辺に各1カ所の折を備えることなど実に丁寧な普請を見せるのだが、その一方曲輪内部は南に向けて緩やかに傾斜する面となる。このような遺構の状況から一時的な陣跡と考えられる。

 東作誌には「本丸 東西八間南北十五間、築地高外一丈内五尺」とあって、現状と寸分違わない正確な記述となっている。東作誌はさらに東西9間南北6間の規模の「二丸」があった事を記す。城の南、国道に面した部分は削り取られており、1郭南下方にわずかに残る緩斜面が二丸にあたるようだ。

 今宮城は美作菅家の一族皆木勘四郎佐保が在城したという。天文元年から翌2年にかけて、出雲尼子軍が美作に侵攻した際、皆木勘四郎はこの城に籠もって尼子軍と戦い討ち死にしたという(美作古城史)。

 参考文献

   おかやま全県統合型GIS 

   寺坂五夫 『美作古城史』1977 作陽新報社

   正木輝雄 『新訂作陽誌』1975 作陽新報社