道迫山城   広島県三次市君田町櫃田

標高360m 比髙80m

主な遺構:土塁・堀切・竪堀

 アクセス

 三次市役所君田支所から県道36号を北上。道の駅「ふぉレスト君田」のある君田町泉吉田で左折、引き続き神之瀬川に沿って進むと右手に「きみた折り紙博物館」(旧君田上小学校)がある。博物館への道を上っていくと左手に小さな祠がある。その裏手から登る。

     

  

 

 城は曲流する神之瀬川に三方を囲まれた丘に載る。東西2つのピークからなる丘頂部には鞍部の堀切を挟んで向かい合うように1・2郭が配置される。

 北側山腹を経由する登城路が堀切脇の3郭に入ってくる。ここが虎口で、登城路からの視界を遮断するように曲輪北辺に土塁が築かれている。1郭との間の堀切には土橋が架かるから、攻め上る敵兵を挟撃する仕組みだ。

 1郭の北東側が背後の丘陵に繋がる部分で。これを遮断する堀切は意外にも尾根をわずかに刻むだけで両斜面に延びていないし、堀切面の土塁も小さなものだ。その一方、1・2郭周囲に派生する尾根はもれなく堀切で遮断しており、中には二重堀切も見られるなど、支尾根の方を重視した普請となっている。

 城山の山腹一帯では、かつて砂鉄採取のための鉄穴流しが行われていたから、山腹は大きく掘り崩されて、山麓から中腹にかけて地形は大きく変化している。南斜面に残るため池跡も鉄穴流しの施設かもしれない。

 

 『芸藩通志』には「文禄中、吉田新三郎高吉所居」とある。備後国の地誌である『西備名区』も吉田新三郎の名を伝え、尼子家臣だとするのだが詳細はわからない。

 

参考文献

 『芸藩通志』芸備郷土史刊行会 1973年

 得能正通編『西備名区』(『備後叢書』 東洋書院  1990年)

 君田村文化財保護委員会『君田村櫃田誌』 1975年