標高190m 比髙170m
主な遺構:堀切・土塁・石垣
アクセス
緑井の古い町並みを通る県道270号緑井5丁目の交差点から西へ、山腹にある緑井浄水場へ向かう。浄水場脇から権現山憩いの森に向かう林道へ入る。約1km進むと右手に公衆トイレと駐車スペースが設けてある。ここから尾根道を下っていけばいい。
中城は安佐南区緑井の街中から北方に見上げる権現山の中腹にある。権現山は市民の憩いの森としてハイキングコースが整備されていて、中城跡も園地広場として下草刈りなどの手入れがされているから、街中から見上げれば、いかにも城跡と思わせる姿を見せる。
遺構の規模は東西200m南北100mと、安芸武田氏の本拠金山城の周囲にある城の中では最大規模のものだ。
主郭(1)の切岸は高くしっかりしており、南下方の2郭は土塁囲みとなって、中核部はなかなかの堅城となっている。一方、主郭東方尾根上の曲輪は切岸の形成が不十分で自然地形を残すし、西尾根でも削平状態の悪い数段の腰曲輪が見られる。
南尾根を伝って登ってくる登城路は主郭南下方の二つの曲輪に挟まれて入隅をなす部分に入る。虎口には両側の曲輪から横矢が掛かり、虎口面には石垣も見られる。
主郭背後の鞍部 (a) は削平されていて、堀切というよりも土塁囲みの小郭に見える。ただ、東斜面側は竪堀となって下方斜面に伸びるから、本来は堀切だったのかもしれない。
a から南へ、主郭切岸下に沿って通路が伸び2郭へと通じる。2郭入口は主郭と2郭に挟まれた堀底道となっているから、これも虎口の一つらしい。
金山城の周囲には武田氏一族・家臣の守る城が数多く残されており、金山城の北東3kmにある中城もその一つと思われる。
中城背後の権現山には金山城築城の際、北方の守護として祀られた毘沙門堂がある。中城南麓の宇那木神社は甲斐国から勧請したものと伝え、これも金山城の北門鎮護として崇敬されるなど、緑井は武田氏とのつながりの深い土地柄だ。
『芸藩通志』は中城の主を香川次右衞門と記す。香川氏といえば武田氏の有力家臣で、緑井の東方、太田川の川沿いにある八木城山に拠った香川氏がいる。承久の乱の戦功によって香川経景が佐東郡八木村の地頭職に補任され、その子景光の時八木村に移住したとされるが、中城主香川次右衞門との関連は不明。
参考文献
河村昭一 『安芸武田氏』 戎光祥出版 2010年