下風城 岡山市北区建部町下神目

別名:中尾山城

標高230m 比髙150m   

主な遺構:土塁・堀切・竪堀

アクセス

 福渡から津山方面へ向け国道53号を進むと、やがて道は旭川の支流誕生寺川の川筋に入る。橋を渡って誕生寺川北岸に入るとすぐに左へ分かれる細い道がある。弓の木山東斜面を登って高原上の野口集落に向かう道だ。弓の木山北側鞍部を越えるとすぐ、道の右手に現れる丘が城跡だ。

           

          地理院地図(電子国土web)に加筆

 下風城は誕生寺川のほとりから見上げる弓の木山ではなく、その背後に隠れた小ピークに築かれている。城からの視界は狭いから、小規模な砦を想像して訪れたのだが、驚いたことに残された遺構は近世の城を思わせる完成度の高さだった。

 特に注目されるのは1郭で、長辺30m短辺20mほどの土塁囲み。塁線が丁寧に整形されて長方形を呈する曲輪であり、東辺には浅い折が入る。

 2郭は1郭を全周する大規模な曲輪であり、小さな段差で数区画に分かれる。2郭北辺は要所が土塁で防御されている。北西側の尾根続きの部分では堀切面の土塁幅が広がって櫓台となるし、北東側では一段低く土塁囲みの3郭を設けて北東尾根に備えるなど、城の北側に広がる高原を意識した築城と言える。

 2郭周囲も良く整形された急角度の切岸となる。その高さは堀切面で4m前後。山腹に面した部分では2~3mの切岸となるが、切岸下方に広がる緩斜面は放置されたままだ。

 三方に伸びる尾根を遮断する堀切について、北東尾根の堀切(c)では堀切の両端を下方斜面に伸ばして竪堀とするが、背後の高原につながる北西尾根では尾根筋に浅い堀切(a)が刻まれてはいるものの、両側斜面に伸びていない。この尾根が最も防御を固めるはずの場所なのに何とも不可解だ。また南西尾根の堀切は道路建設で一部破壊されて全容が分からないが、2郭の切岸下に沿って横堀状に伸びたのち、南斜面を下る竪堀となる。

 防御の工夫が凝らされた虎口が見られることも本城の特徴だ。

 2郭北辺の虎口dと南辺の虎口eはいずれも塁線の内折れ部分に開いたもので、横矢掛かりの虎口となる。また2郭南下方のfは堀切に架かる土橋を渡って城内に入るもので、虎口部は土塁で防御されているし、上方の2郭から横矢が掛かる。城への通路はさらに数ヶ所確認出来るが、後世の作業道が含まれているかもしれない。

 上記のように発達した虎口や土塁を備えていること、南東側に伊勢畑城が見える程度で視界の遮られた山陰に築かれた城だが、背後の高原側には視界が広がることから、高原側からの動きに備えた軍事拠点として築かれたものように思われる。

 『作陽誌』は下風城について、伊勢畑城の記述に付記する形で中尾山(下風城)と呼ぶ陣営跡があることを記すに過ぎない。

1郭を囲む土塁

参考文献

 『新訂作陽誌』  作陽新報社 1975年

 寺坂五夫『美作古城史』作陽新報社 1977年