別 称 秋田城
主な遺構 堀切・横堀
アクセス
高梁の中心市街から県道302号を上り、高原上の松原町神原を目指す。かぐら街道(広域農道)との交差点を過ぎるとやがて道の正面に見える山がある。これが秋町城のある高村山だ。高村山東南麓の神原北から高村山山頂まで山道が伸びている。
この城について、『日本城郭体系』13広島・岡山及び『高梁市史』では「秋町城」(高梁市高倉町田井)、一方、文化庁の『全国遺跡地図』では「秋田城」(高梁市松原町春木)と記載されている。さらに江戸期の地誌『備中誌』は秋町城の別名として秋坂山城を挙げ、「秋坂山 また高村山とも云、高山也、田井・神原・青木(春木の誤りか)境なり」と記す。
城のある高村山山頂がどこに位置するかは別として、高村山そのものは高倉町田井と松原町春木・神原に跨がるから、城名や所在地表記の違いはあるにしても、秋田城・秋町城・秋坂山城は同一の城を指しているといってよさそうだ。
ただ、次のように当城の位置を高村山から北に延びる尾根の先端付近としているものもある。恐らく秋町城の載る山が高梁川沿いから見上げる山の奥にあって、直接見通せないことからくる混乱らしい。
秋町城 高倉町田井
標高400m、南は細い尾根続きになっているが、東西は深い谷で区切られ、特に北は断
崖に近い急斜面であり、高梁川の急流が直角にあたり、山裾をえぐり取るようにして、東
に方向を変えて流れ去っている。(『高梁市史』)
城名は城の載る山の名や城主名、山麓の地名で呼ばれることが多く、秋町城の名は高梁川沿いの地名秋町によるものと思われる。城の載る山は奥深い山だから、見上げる場所によって別の呼び名があったということのようだ。
城のある松原町は高梁市の中心市街地の西、標高4~500mの高原上の町であって、秋町城はその北端、標高553mの高村山の山頂にある。登り口のある藤の木峠から緩やかな上り坂を30分も上ると、皿を伏せたような形のなだらかな山頂に出る。
山頂部は二つのピークに別れ、南東側ピークに遺構がある。緩斜面の広がる山頂部を加工しないままに空堀・切岸で楕円形に囲い込んだ城だ。その規模は長径50m短径20mほど。登城路のとりつく南東端に二重の空堀を備え、人の背丈ほどの切岸で囲む。切岸下には空堀あるいは帯状の平地が巡る。
山頂から北西側約200mのところにもう一つのピークがある。ここには祠跡らしき石造物が残るだけで城の遺構は無く、2つのピークに挟まれた浅い鞍部に長さ30m、側面に土塁を付設したほどの堀切を思わせる溝も残る。ただ城郭遺構の一部なのかどうか。
『川上郡誌』は建武2年田井新左衛門尉信高・同蔵人太夫が新田義貞に属して戦い、やがてこの城を築いたと記すが、遺構の状況からみれば、継続的に使用されたものではなく、一時的な軍事拠点としての城のように思える。
参考文献