高根山城   広島県三原市久井町下津

標高390m 比髙20m

主な遺構:堀切・竪堀・土塁

アクセス

 山陽自動車道の三原久井ICから県道25号を北上。大和方面に向かう県道345号の分岐を過ぎるとすぐに宇根山家族旅行村の案内板が現れる。ここを右折し御調川を渡って山沿いに南下する。

         

先日の当ブログ「上田城」の記事で、

 江戸期の地誌によると、上田城(三原市久井町下津・江木)の別名は「高根山城」であり、上田城・高根山城共に城主として山名左近の名を挙げることなどから、高根山城は上田城の一部に過ぎないのかもしれないと妄想した。

上田城の記事はこちら。

kohanatoharu.hatenablog.com

 

 改めて『芸藩通志』の内容を確認しておきたい。まず下津村絵図。「高根山城」は吉田村境に近い位置に見え、江木村境にあるはずの上田城は記載されていない。

芸藩通志』巻95 下津村絵図(部分)

また城墟欄にも上田城に関わる記載は無く、高根山城に関しては次のように記されている。

「高根山 八幡城  並に下津村にあり、高根は山名三郎豊澄、同左近が所居、山名家系譜に、備後杭城に居るとあり、高根山のことと見えたり、八幡城は主名詳ならす」

 

 両城の位置関係だが、上田城は人里のある南側が下津村に属しており、高根山城は上田城につながる尾根の先端部分にある。

 従って、上田城・城・当城を含む全体を高根山城と呼んでいたものが、やがて集落の裏山にある当城を高根山城と呼び、それとともに、その奥にある山頂の遺構が忘れ去られていった結果なのではなかろうか。

 

 高根山城は南に延びる低い尾根の先端部を利用して築城されている。城の背後に続く尾根への備えとして堀切・土塁を構え、尾根端にかけて小さな段差で6段の曲輪が並ぶ。その先端の曲輪は土塁囲みとなり、土塁脇には虎口が開く。

 西斜面側では上段の曲輪隅から下段の曲輪の側面に土塁を延ばし、切岸の高さを確保する工夫が見られる。また東斜面側では背後の堀切脇に4条からなる畝状竪堀群が築かれているが、切岸下に作業道が建設されて一部破壊されている。

 思いがけない事に、当城の西側山麓には土居屋敷と思われる遺構が残されていた。背後の丘陵裾に空堀を刻み、その内側の削り残した部分を成形した土塁が敷地の周囲を巡る。見慣れたプランとなっている。

 

参考文献           

広島県教育委員会広島県中世城館遺跡総合調査報告書』第3集 1995年

芸藩通志』芸備郷土史刊行会        1973年

久井町誌編纂委員会『久井町誌』   1997年