60年以上も前、お盆の時期には母親の言いつけで弟とともに集落の共同墓地にある父親の墓の掃除に行っていた。
我が家の古くからの墓地は自宅の裏手にあって、自然石の墓標も含め20基ほどの墓石が並んでいた。
一方共同墓地にある墓は、父親の墓と相前後して亡くなった祖父母のものだけだったから、戦後になって作られたような新しい共同墓地だったように思う。
父親の墓とはいっても、文字の刻まれていない自然石の墓標があるだけなのだが、ある年掃除に行くと、墓石が土の中にめり込んで見えなくなっていた。土の中から掘り起こし、元通りに据えなおした記憶がある。
父親が死んだとき、私は幼くその記憶は皆無だったから、何故墓標がめり込んだのか、その時思いを巡らすことはなかった。
それから10年ほどのち、岡山県に住む伯父の葬式に参列したことがある。集落の人の互助によって自宅で行われる葬儀だった。
仏壇の前に安置された棺を前に僧侶が読経。それが終わるやいなや、集落の人たちが棺の飾りを外して木製の棺に縄をかけ、四人がかりで担いで裏手の山に担ぎ上げていった。
あっけにとられながら後をついて行くと、そこには伯父の家の墓所があって、人の背丈を越える縦穴が掘られていた。
棺桶をその中に落とし込み、土を被せて土饅頭にすれば埋葬完了。なんとも簡便で手際良い埋葬だった。葬儀経費の面でも、わずかな飾り付けと僧侶を招く費用で済みそうだ。
埋葬から何年か経てば土の中の棺桶は腐る。もちろん遺骸も。棺桶の中の空洞に土が流れ込んでいけばー
私はその時やっと父親の墓標がめり込んだ理由を知った。
そして、埋葬から随分の年月が経ってやっと文字の刻まれた墓石が据えられることになる。
仏教は火葬だというが、にもかかわらず私の生まれ育った広島県東部の山間部から岡山県にかけて、少なくとも半世紀前まで土葬が行われていた。
貧しい農村では土葬がもっとも簡便な葬儀方法だったから、というのが最大の理由だったのではなかろうか。