陣ヶ城  島根県鹿足郡吉賀町有綱

別名 陣賀城

標高380m、比高50m

主な遺構 土塁・堀切・畝状竪堀群

アクセス

 城は中国縦貫自動車道六日市IC入口から国道187を北上し、六日市の街中で右折して県道16号に入る。約1km先、道路に迫りだした丘に陣ヶ城がある。西麓の民家裏手から山に入り、南北二つのピークに挟まれた鞍部を目指す。

    

 

 城は2つのピークを持つヒョウタン型の丘に築かれている。南曲輪群は切岸の不明瞭な曲輪三段、それに中腹の帯曲輪からなる。この帯曲輪は攻め登る敵に備えた迎撃拠点か。背後は道路建設によって破壊されており、わずかに支尾根の堀切だけが残る。

 一方、北曲輪群は高さ6m前後の急峻な切岸で防御される。1郭南端鞍部を見下ろす位置には土塁を盛り、土塁外壁下には14条からなる竪堀群が、鞍部には堀切が刻まれている。

 

 天文20年(1551)大内義隆を滅ぼした陶晴賢は、同23年津和野城(三本松城)に拠る吉見氏を攻撃。陶の別働隊である江良弾正らの軍勢は周防山代方面よりこの地に攻め入り、当城の西方3kmにある指月城(城主は吉見氏一族の竹内氏)を攻略している。

 当城は西方1kmにある茶臼山城の出城とされ、天文年中には永嶺・岡・上領・吉賀らが「関番」(城番?)だったと伝える(『六日市町史』)。西麓の民家にはこの地で矢戦があったとの言い伝えがあるから、天文23年の戦いで吉見方拠点として使用されたのかもしれない。

急峻な切岸に囲まれた1郭

1郭南下方の畝状竪堀群を写したが、見えている竪堀は1基だけ。

1郭下方にはササユリの群落が、


参考文献

廣田八穂『西石見の豪族と山城』1985年

六日市町教育委員会六日市町史』1981年

島根県教育委員会『石見の城館』1997年