別名 布寄城
標高450m、比髙50m
主な遺構:土塁・堀切
アクセス 備中町長屋から県道435号を北へ。吉備高原上に上って「かぐら街道」に合流したらまず布寄神社を目指す。神社からは尾根伝いに進む道(案内図に見える破線の道)がある。地図・コンパスは必携


城は布寄集落の北側、東西に延びる稜線から北に分岐する支尾根上に築かれており、丘頂の主郭とこれを三方から取り囲む腰曲輪からなる。
主郭は長径55mほどの楕円形。小さな段差で2区画に分かれており、西辺に虎口を開く。南側に連なる尾根を二重堀切で遮断し、堀切面に土塁を盛る。
「古戦場備中府志」によると、城主は布寄氏。天正3年(1572)備中兵乱の際には三村元親に属して備中松山城に籠城したと記すから、三村氏に従った小領主だろうか。
城の位置は地元の人からの聞き取りによって確認し、現地踏査したのだが、『岡山県中世城館跡総合調査報告書』をみると、中村城の位置を布寄神社西方、520mの独立標高点に示していた(案内図参照)。いったいどうしたことかと「おかやま全県統合型GIS」や文化庁の『全国遺跡地図』を確認したが、いずれも同じ位置を示している。
私の踏査した「中村城」の位置を赤色立体図で確認したが、私の踏査した場所であることにまちがいない(下図)。

文献に示された「中村城」と私の調査した「中村城」、両者は一体どういう関係なんだろう。
参考文献
「古戦場備中府志」 『吉備群書集成』歴史図書社 1970年
「おかやま全県統合型GIS」http://www.gis.pref.okayama.jp(参照2025-07-30)
「全国Q地図 地形図・地理空間情報の総合閲覧サイト」 https://info.qchizu.xyz(参照2025.7.30)