追畑城   広島県神石郡神石高原町小野

標高480m 比高240m 

主な遺構 堀切・土塁

アクセス 

 神石高原町の小野地区は成羽川の北岸にある。まずは案内図にある小野小学校跡を目指す。その先は現地で確認しながら進むしかないが、空き屋が多く道は荒れている。

      

   


 追畑城は広島県の東端、神石高原町小野にある。小野地区は高原を深く刻み込んで流れる成羽川によって、神石高原町の中で隔絶された地区となっている。江戸期の備後国地誌『西備名区』は成羽川を越えて小野に向かう道の厳しさを次のように記している。

 笹尾より小野を見渡すに、眼前に近く二里ばかり下坂せり。その道、道の形にはあらず大木横たわり巌石嵯峨さがたり。石尖せきせんを握り葛の根をよち木の根にたよりて下る。

 一方、東の備中国との間は高原上の道が続いているから、小野地区の開発は地続きの備中側から進められたらしい。小野地区に3カ所残る城跡のうち、小野城に拠った赤木氏は備中穴田郷(成羽町)に本拠を置く赤木氏の一族だという。追畑城は『西備名区』に載らない城だが、『神石郡誌』は城主を今井氏とする。赤木氏同様、備中から進出した勢力とされている。

 

 追畑城は成羽川に突きだした半島状尾根に載る城で、三方を断崖絶壁に囲まれ、その高さは成羽川の水面(ダム湖)との間で240mに及ぶ。城への道は尾根伝いのルートだけという要害の城だ。

 尾根伝いに城に向かうとまず堀切・土塁(a)が現れるが、その先には削平痕の不明瞭な平坦面が続く。やがて2基の堀切を越えればこの先が城の中核部だ。主郭(1)の規模は南北25m東西15mほどで、中央部には土壇を備える。尾根伝いの道は主郭東下方の腰曲輪を経て尾根先端の小ピークに載る2郭まで伸びる。

 上の案内図(地理院地図)で、追畑から成羽川の谷に下りていく破線の道(徒歩道)があり、川の南側には尾根伝いに登って笹尾方面に登っていく徒歩道も見える。ダム湖が出来て川沿いの様子がわからなくなっているが、この城は対岸の高原上とを結ぶ通路を、あるいは川沿いの交通路と小野を結ぶ通路を監視する城だったのかもしれない。

 

参考文献

 神石郡教育会『神石郡誌』 名著出版 1980年

 油木町史編さん委員会『油木町史』 2004年

 油木町教育委員会『油木の古墳と山城』 1993年

 『日本歴史地名大系35巻 広島県の地名』 平凡社 1982年