越山城  岡山県新見市哲多町矢戸

標高330m 比髙70m  

主な遺構:堀切・土塁 

アクセス

 新見市街から高梁市備中町方面へ向け県道33号を南下。哲多町矢戸で本郷川を渡るとすぐに右折し、南方丘陵上にある宮ノ峠集落を目指す。坂道を上り切ったところで左折。車道終点から民家裏手の道を北へ進めばいい。登り口には案内板もある。

       

     

 川沿いの県道から城のある丘陵上に向け、細い道を上っていくと宮ノ峠の集落が現れる。越山城は民家と畑に隣接した丘陵北端部に築かれてる。民家との間は幅広い平坦な尾根となっており、ここに堀切5基を並べて背後への備えとしている。

 堀切はそれぞれ幅5m、長さ50mほどの規模。不明瞭だが城外側には土塁を備えている。これが尾根上70mの範囲に並べ築かれているから、城の主役は郭ではなく堀切だと言わんばかりだ。これを渡りきると高さ5m前後の切岸に守られた曲輪が控えている。

 城の本体はいたって簡素で、堀切面に土塁を盛った主郭の規模は50m×30mほど。そしてこれを囲む幅5mほどの帯曲輪があるだけだ。主郭の削平は甘く周辺部が緩やかに傾斜する。

 帯曲輪と見える部分は切岸造成の結果生まれたものだろうが、西端では堀底と繋がっており、主郭を囲む横堀であった可能性もある。とすれば主郭東側に残る堀切 a・bはその一部ということになる。集落に隣接した遺跡だけに耕地化による影響を受けているものと思われる。

 

 『阿哲郡誌』は「城主飯沼基義、降って元亀・天正の頃は逸見和泉守、毛利氏に属してこの地を領せり」と記すが、詳細はわからない。

主郭下を巡る堀切。左手が主郭

 参考文献

 阿哲郡教育会『阿哲郡誌』 1976年

 『日本城郭大系 13 広島・岡山』新人物往来社 1980年