別名:山屋堡
標高260m 比髙50m
主な遺構:土塁・堀切
アクセス
城はJR姫新線月田駅の北方、線路に面した丘陵上にある。鉄道線路と並行して走る県道32号から城跡の南側に延びる狭い道に入れば、すぐに登り口がある。


城はJR姫新線の線路西側の丘にあって、舌状に伸びた尾根上200mの範囲に遺構が広がる。
1郭が最大の曲輪で東西50m南北30~50m。南辺には土塁が盛ってあり、土塁外壁下には不明瞭ながら堀切が刻まれる。また北辺にもわずかに土塁が残る(図中a )。その北側には小郭と堀切bを挟んで2・3郭が配置される。
「武家聞伝記」は三堂坂城の縄張りを次のように記している。
本丸東西20間、南北22間 櫓丸二つの内一カ所、東西八間、南北四間、一カ所東西十二間南北十四間、但し本丸の北に当る
作成した縄張図と照合すると1郭が「本丸」に該当するようだ。「櫓丸二つ」について、「東西八間、南北四間」に該当するのは2郭、「東西十二間南北十四間」は3郭とみられる。低い丘に築かれた城だから1郭(「本丸」)を居館跡、2・3郭はその背後を固める役割とみることができる。
城主として牧左衛門の家臣、池田新兵衛・沼田太郎左衛門の名が伝えられる。

参考文献
『校訂作陽誌』仁科照文堂 1894年
久世町史資料編編纂委員会『久世町史』資料編 2004年