別名 虚空面城
標高465m 比高180m
主な遺構 土塁・石垣・堀切・横堀・竪堀
アクセス
北広島町壬生から県道69号を北へ1kmほど進むと、西側山裾に川西八幡神社がある。この神社脇から尾根伝いに登っていけば、城跡に向かう道が現れる。
城は川西八幡神社の背後、標高465mの山に築かれている。城山からは江の川とその支流志路原川沿いの平野を一望の下に見渡せ、さらに壬生城・有田城・余谷城など山県郡東部の主要な城を視野に収める稀な場所である。
『芸藩通志』が城主と伝える高梁文助について、詳細はわからないが石見国から安芸国高田郡北部にかけて勢力を有していた高橋氏の一族と思われる。高橋氏は享禄2年(1529)に毛利元就によって滅ぼされており、その後元就は大内義隆から「阿須那高橋伊予守跡并船木、佐々部、山県等」(毛利家文書)の知行が認められているから、高橋氏の勢力は山県に及んでいたようだ。
城の載る山は2つのピークからなる。三角点のあるピークに1郭、もう一つのピークに2郭があって、この両郭を中心に縄張りされている。城の中核部には石垣が見られるなどしっかりした普請だが、登城路のある東尾根や北西斜面側の曲輪は小規模で加工度の低いものだ。
東尾根につけられた登城路は二つのピークに挟まれた鞍部(図中a)に導かれる。両側の曲輪から延びる土塁には開口部があり、ここが虎口らしい。虎口を見下ろす3郭の土塁外壁面は石垣で固めてあるし、4郭から下ってくる土塁は石材を積み重ねたものとなっている。
北西側斜面には四筋の支尾根(図中A~D)が伸び、それぞれに堀切や加工度の低い曲輪が築かれている。このうちB・Cの尾根が一筋の尾根のように見えるのは、2つの尾根の間に等高線で表現されない浅い谷があるためだ。
この城最大の注目点は北西斜面側、Bの尾根の基部に刻まれた四重堀切だ。尾根の基部を遮断する空堀だから「堀切」の表現が間違いということではないのだが、4郭の切岸下に沿ってわずかに湾曲しながら水平方向に延びている。これが階段状に4基並ぶから「畝状空堀群」あるいは「畝型阻塞」と呼ぶことが出来る。
当ブログでは整然と並べ築かれた竪堀群を「畝状竪堀群」と記してきたが、こればかりは「竪堀群」と呼ぶことが出来ない。
参考文献