吉谷城? 岡山県井原市髙屋町

標高240m 比高190m

アクセス

 井原から広島県の福山方面に向けて国道313号を西へ。髙屋の町並みに入る手前に県道103号の分岐がある。ここを右折して県道に入り、1kmほど進むと谷が二手に分かれる。城は分流する川に挟まれた丘陵上にある。

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 竪堀を「畑の畝のように」連続して並べ築いた山城の施設を畝状竪堀群(畝状空堀群など呼び方は様々)という。

 畝状竪堀群を備えた城は岡山県内にも多数あって、岡山県井原市の高屋城もその一つである。永禄12年(1569)年、毛利軍の主力が北九州に出兵していた留守を突き、藤井皓玄らの軍が備後神辺城を奪うという事件が起こるが、藤井皓玄の居城がこの髙屋城だったという。

 この城に関する情報を得ようと『井原市史』を読んでいたら、高屋城の隣に妙な遺構があるという。その遺構は猪垣ししがきと紛らわしいが、尾根筋を堀切で遮断しており、周囲の斜面に竪堀がたくさんうがたれていることから城の遺構だろうとし、髙屋城に向けて造られた毛利勢の寄せ城の跡なら面白いとある。

 もうずいぶん前のことになるが、この記載に興味をそそられて出掛けた。場所は吉備高原の南端、標高300m程度の丘陵上。麓から丘陵上までの傾斜は実にきついのだが、丘陵上には緩斜面が広がる。その時作成したものが下の図1。

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図1

 遺構は丘陵頂上部に近い谷頭部分を土塁・空堀で馬蹄形に囲い込んだものだった。背後の尾根に面して堀切を刻んではいるのだが、囲い込んだ内側のスペースは周囲から見下ろされる位置にあるから、城がこんな所に築かれるはずはなく、農地を猪・鹿などの害獣から守るための猪垣に違いない。

 類似の例が南山城(広島県三次市和知町)の北端にある遺構(図2のA)だ。髙屋町のものと同じく、浅い谷間を土塁・空堀で馬蹄形に囲い込んでいる。猪垣には様々な形態のものがあるのではあるが、いずれにしてもこれが城跡であるはずはない。城が山に築かれるのは上方から迎え撃つ有利さがあるからだ。単純だが私の判断には自信があった。

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図2南山城(部分)

 ところが最近見つけたのだが、webサイト「おかやま全県統合型GIS」には「吉谷城」という城として載っていた。東麓には吉谷の地名があるから(案内図参照)、城名はその地名によるものらしい。

 ありゃまあ何でと、『岡山県中世城館跡総合調査報告書』を調べると、これにも吉谷城が載せられていた、それによると私の作成した図は城の一部に過ぎなかったようで、さらに北側にも同様な土塁・空堀囲みの遺構が確認されていた。

 私の確認した遺構部分についてはー

谷部を囲む土塁を確認した。谷から尾根への侵入を阻む、或いは谷間に閉じ込めておくなどの役割が考えられなくもないが、城館関連の遺構と速断出来ない。

                       (『岡山県中世城館跡総合調査報告書』)

とあって、とりあえず納得。城と猪垣、なかなか悩ましい。

 

 

参考文献

 井原市史編纂委員会『井原市史』1 2005年

 webサイト「おかやま全県統合型GIS

 岡山県文化財保護協会『岡山県中世城館跡総合調査報告書』備中 2020年